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'''ゲプハルト・ヒールシャー'''('''Gebhard(Gebhard Hielscher''', [[1935年]] - )は[[ドイツ]]出身の[[ジャーナリスト]]。[[アルベルト・ルートヴィヒ大学フライブルク|フライブルク大学]]法学部卒業。元[[南ドイツ新聞]]日本特派員、現在は[[神奈川大学]]教授。
 
== 報道姿勢 ==
南ドイツ新聞の報道姿勢に近く、日本の戦後処理についても批判的である。[[浅田真央]]の[[外国人記者クラブ]]における記者会見(2007年4月6日)では、[[慰安婦]]問題に対する[[安倍晋三]]首相(当時)の対応を念頭に置いて「米国での生活で、米国人から『日本の首相は本当のことを言わない』と指摘されないか」という質問を行っている<ref>livedoor news 2007年4月6日記事</ref>。
 
== 主張 ==
「戦後五十一51年たっても日本政府は、戦争時代のあらゆる要求は二国間条約で片がつき、個人補償は問題にならないという立場に固執している。形式法理論に基くにすぎない片意地なその拒否的態度が、日本と旧交戦国の和解に至る道をこれまで妨げてきた。もちろん多くの日本人は拒否的態度によって、自分たちの過去の暗部との対決をうまくごまかしてすり抜けることができるだろうとの幻想を一段と強めてきた。」「こういうこと(個人補償)が可能だということを、ボン政府はすでに四十40年前に、一九六五1965年の連邦保障法で証明してみせた」<ref>南ドイツ新聞 1996年7月29日記事</ref>
 
これに対し[[西尾幹二]]は、「ドイツの日本に対する優越は、この人のすべての両国比較の文章に共通し」ているとし、「日本の歴史に『ナチ犯罪』はないのだ。『国家賠償』を避けて『個人補償』に逃げ込まざるを得ないような理由も、必然性も日本にはない。しかるに日本人が『個人補償』に対する拒否的態度をとることで、『自分たちの過去の暗部との対決をうまくごまかしてすり抜けることができるだろうとの幻想』を抱いている、というのである。何という失礼な言い方であろう。他の国の人には何と言われてもよいが、民族抹殺、集団殺戮、人体実験、不妊断種手術、安楽死政策を大規模に重ねてきた[[ドイツ]]人にだけは、日本人がこんなことを言われる理由はまったくない」<ref>『[[諸君!1997!]]』1997年1月号論文</ref>と反論している。
もちろん自国・[[ドイツ]]が、国家賠償はおろか外国人に対する個人補償すらほとんど行っていない(個人補償の対象は大部分ドイツ国民か、当時ドイツ国民で後にドイツ国籍を離れた人間である)という事実は承知しているものと思われる。
 
== 著作 ==
これに対し[[西尾幹二]]氏は、「ドイツの日本に対する優越は、この人のすべての両国比較の文章に共通し」ているとし、「日本の歴史に『ナチ犯罪』はないのだ。『国家賠償』を避けて『個人補償』に逃げ込まざるを得ないような理由も、必然性も日本にはない。しかるに日本人が『個人補償』に対する拒否的態度をとることで、『自分たちの過去の暗部との対決をうまくごまかしてすり抜けることができるだろうとの幻想』を抱いている、というのである。何という失礼な言い方であろう。他の国の人には何と言われてもよいが、民族抹殺、集団殺戮、人体実験、不妊断種手術、安楽死政策を大規模に重ねてきた[[ドイツ]]人にだけは、日本人がこんなことを言われる理由はまったくない」<ref>諸君!1997年1月号論文</ref>と反論している。
* 『ヤーパンの評判』朝日イブニングニュース 1981年
* 『自信と過信』サイマル出版 1985年
* ''38 mal Korea'' Piper 1998年
* ''Land & Leute Japan'' Polyglott 1995年
 
==著作 脚注 ==
*『ヤーパンの評判』朝日イブニングニュース 1981年
*『自信と過信』サイマル出版 1985年
*''38 mal Korea'' Piper 1998年
*''Land & Leute Japan'' Polyglott 1995年
 
==脚注==
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[[Category:ドイツのジャーナリスト]]
[[Category:神奈川大学の教員]]
[[Category:ドイツ出身の人物]]
[[Category:1935年生]]
[[Category:存命人物]]