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'''姉妹社'''(しまいしゃ)は、かつて存在した[[日本]]の[[出版社]]。『[[サザエさん]]』など[[漫画家]]・[[長谷川町子]]の[[漫画]]著書を専門に取り扱っていた他、長谷川作品の[[著作権]]管理も行っていた。本社は[[東京都]][[世田谷区]][[桜新町]]に所在した。
 
== 歴史 ==
代表者は長谷川町子本人が務め、営業担当は町子の姉の[[長谷川毬子]]と町子の妹の長谷川洋子が務めた。父の死で一家で上京し、[[田河水泡]]に師事して漫画家デビューした町子は、[[1946年]]、[[疎開]]先の[[福岡市]]で「サザエさん」の連載を福岡の[[地方紙]]『[[フクニチ新聞|夕刊フクニチ]]』で開始した。翌年の[[1947年]]、福岡から[[東京]]に戻ったばかりの町子の作品を大手出版社に頼らず、[[自費出版]]としての形で毬子らと共に『'''姉妹出版'''』として設立した。自費出版の資金は、父が建てた福岡の自宅の土地・建物を担保として捻出した。同年、『サザエさん』の[[単行本]]第1巻を出版した。当初のサイズは[[判型|B5判]]の横綴じという形だったが、書店の店頭に並べにくいとの理由から返品され、姉妹出版は当時の[[日本出版配給]]から出入り禁止の処分を受けた。その後、長谷川の自宅は返品された第1巻に占拠される事態となった。長谷川姉妹の実母の薦めで第2巻からB6判にサイズを変更した際、読者に好評だったこともあり、B5判の第1巻は店頭に置かれることが許された。以降、「サザエさん」の第1巻はB6判に改訂されて再出版され、全68巻出版された。また、『[[いじわるばあさん]]』(全6巻)他の長谷川町子作品もB6判で出版された。但し、『よりぬきサザエさん』や『[[サザエさんうちあけ話]]』、『[[サザエさん旅あるき]]』はA5判サイズで出版された。
 
[[1992年]][[5月27日]]に長谷川町子が逝去。翌年の[[1993年]][[4月]]、町子の死と毬子の高齢などの理由により「姉妹社」は[[日本出版販売]]に廃業届を出して解散となり、著書は全て[[絶版]]となった。町子が残した作品の著作権管理は、[[長谷川町子美術館]]に移管された。これにより、[[1969年]]から現在まで続いている[[サザエさん (テレビアニメ)|アニメ版『サザエさん』]]のコピーライトのクレジット表記も「'''©姉妹社'''」から「'''©([[財団法人|財]])長谷川町子美術館'''」(現在は「(財)」の部分を割愛)に変更された。また、[[1994年]]から、「サザエさん」など姉妹社が取り扱った町子の作品が[[朝日新聞社]]<ref>[[朝日新聞]]の出版事業は[[2008年]][[4月1日]]に[[朝日新聞出版]]として分社化された。</ref>から[[文庫本]]として再版されている。