「水道哲学」の版間の差分

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Jack330 (会話 | 投稿記録)
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== 解釈 ==
物資を潤沢に供給し、水道の水のように廉価に、というのは例えに充てる水道が廉価に過ぎて誤解を招きかねない。
物資を潤沢に供給し、水道の水のように廉価に、というのは例えに充てる水道が廉価に過ぎて誤解を招きかねない。しかし水道の水とは言わずとも、市井の普通の人々の手の届く価格にすることで普及を図るという考え方自体は妥当である。登場当初は高価で一部の家庭にしかなかった[[家電]]製品が、価格の低下とともに普及を見て、遂には家庭に存在しないことのほうが珍しいという程に広まった様子は、正に水道哲学の賜物であるといえる。他にも、[[自家用車]]や[[パソコン]]・[[携帯電話]]・[[ゲーム機]]などの普及も、同様の例として挙げることができるし、これらのように比較的高価なものでなくとも、近年では[[アパレル]][[小売業]]の[[ユニクロ]]や[[回転寿司]]チェーンの[[スシロー]]なども同様に、世の中に廉価で良質なものを大量供給することにより、この世に極楽浄土を創るという松下幸之助の水道哲学に値する。
 
物資を潤沢に供給し、水道の水のように廉価に、というのは例えに充てる水道が廉価に過ぎて誤解を招きかねない。しかし水道の水とは言わずとも、市井の普通の人々の手の届く価格にすることで普及を図るという考え方自体は妥当である。登場当初は高価で一部の家庭にしかなかった[[家電]]製品が、価格の低下とともに普及を見て、遂には家庭に存在しないことのほうが珍しいという程に広まった様子は、正に水道哲学の賜物であるといえる。他にも、[[自家用車]]や[[パソコン]]・[[携帯電話]]・[[ゲーム機]]などの普及も、同様の例として挙げることができるし、これらのように比較的高価なものでなくとも、近年では[[アパレル]][[小売業]]の[[ユニクロ]]や[[回転寿司]]チェーンの[[スシロー]]なども同様に、世の中に廉価で良質なものを大量供給することにより、この世に極楽浄土を創るという松下幸之助の水道哲学に値する。
松下の水道哲学は彼の営んだ電機事業に限らず、[[日本]]が近代化の過程で物的に豊かになっていく将来動向を見越した卓見であったと言えよう。
 
世界的にはフォード1世の経営哲学「フォーディズム」と呼ばれる経営戦略で、自動車のように 設計開発に費用が掛かる商品は、普及初期には 単一品種を・大量生産・大量販売してこそ単価が下がって普及するのに、当時の自動車メーカーは、現代におけるスーパーカーのメーカーのように「金持ち相手の少量生産工芸品」を多品種少量生産していたために、「開発費だおれ」になって自動車価格が下がらず、普及を妨げていた。
 
しかし、現在のフェラーリ社とフォード社の株式時価総額を比較すればわかるように、庶民大衆のほうが、富裕層より圧倒的に数が多く、大衆車のほうが高級車より潜在市場規模が大きい。
 
そこで、フォード1世はベルトコンベア大量生産方式を発明し、分業によって未熟練工でも自動車を作れるようにしたうえで、[[フォード・モデルT]]を 単一車種・大量生産し、自動車を安く量産して、自動車を「富裕層の玩具」から「馬車に代わる大衆の足」に変貌させ、大量の雇用創出で米国社会に貢献しながら、フォード社を巨大企業に育てあげた。
 
松下幸之助の水道理論は、まさに、日本におけるフォーデイズムの実践であり、Panasonicブランドで知られる[[松下電器産業]]が巨大企業になる礎石となった。
 
しかし、近年においては、企業用の超高額事務機械であったコンピューターの大衆化で、パソコン・スマートフォンなど、日本の電機産業は「コンピューターの大衆化・世界大衆へのコンピューター普及のパイオニア」を悉く米国企業に奪われ、再生可能エネルギーのパワーコンディショナーや太陽電池でも、「単一品種・量産・量販」ではなく「企業乱立・重複開発・多品種・少量生産」で「開発費倒れ」をまねき、[[固定価格買取制度]]によって「安くない商品を補助金漬けで販売」しており、[[官僚化]]、[[新自由主義]]による松下水道哲学からの劣化が指摘されている。
 
== 外部リンク ==