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{{出典の明記|date=2008年3月}}
'''公営競技'''(こうえいきょうぎ)とは、公の機関が[[賭博|賭博(ギャンブル]]として開催する[[プロフェッショナルスポーツ]]の総称である。
 
== 日本 ==
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これらは全て[[パリミュチュエル方式]]により[[投票券 (公営競技)|投票券]]が発売されており、勝利する競走対象を予想した投票券を購入して、予想が的中すれば[[配当金]]を受け取ることができる。
 
かつては[[ドッグレース]]を公営ギャンブル競技として開催する動きがあったが、「[[畜犬競技法案]]」が成立しなかったため実現しなかった。他にも[[ハイアライ]]を公営ギャンブル競技として開催する動きがあったが、ハイアライ法案(ハイアライ競技法案<ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/010/0790/01006050790039a.html 参議院会議録情報 第010回国会 厚生委員会 第39号 昭和26年6月5日]</ref>や回力球競技法案)が成立しなかったため実現しなかった<ref>[http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/2983/5/Honbun-3864_03.pdf 「日本型収益事業」の形成過程: 日本競馬事業史を通じて 第一章 現行収益事業制度 19-20頁] - [[早稲田大学]] 萩野寛雄</ref>。
 
=== 財政難と廃止 ===
本来[[賭博及び富くじに関する罪|賭博罪]]に該当する公営競技が特別法の規定によって存在を許されている理由は、国や地方自治体に財政的貢献をすることにある。しかし、公営競技の売上額は1991年をピークに減少を続け多くのギャンブル公営競技場で赤字を出し続けて財政貢献ができないことから、違法の状態にあるといわれている<ref name="公営ギャンブルの窮地-117">[[#公営ギャンブルの窮地|公営ギャンブルの窮地]]、117頁。</ref>。
 
21世紀に入り公営競技廃止に踏み切る自治体が相次いで出ているが、廃止には関係者への補償金、原状回復費など巨額の清算費用を要する<ref name="公営ギャンブルの窮地-117"/>。清算費用の捻出がネックとなって廃止に踏み切れない自治体も存在するといわれている<ref name="公営ギャンブルの窮地-117"/>。また補償金を巡り自治体と関係者、あるいは共同で公営競技を主催していた自治体の間で紛争が発生し、訴訟に発展したケースも複数ある<ref name="公営ギャンブルの窮地-117"/>。さらに、自治体によっては公営競技が重要な雇用確保の場となるなど経済効果が見込まれることから、赤字であるにもかかわらず廃止に踏み切れないケースも存在する<ref name="公営ギャンブルの窮地-122">[[#公営ギャンブルの窮地|公営ギャンブルの窮地]]、122頁。</ref>。
 
公営ギャンブル競技の運営に携わる者たちは客商売の自覚や経営努力に欠けており、自動券売機やインターネットによる投票の導入後で窓口販売員が必要とされなくなった後も販売員を解雇しない(できない)など、放漫経営を行い経営難に拍車をかけたと批判されている<ref name="公営ギャンブルの窮地-121">[[#公営ギャンブルの窮地|公営ギャンブルの窮地]]、121頁。</ref>。また、競輪や競艇の選手は実力下位であっても一般的なサラリーマンよりも高額の収入を得ているといわれている<ref name="公営ギャンブルの窮地-122"/>。
 
=== 歴史 ===
日本の公営競技の一つとなっている近代競馬は[[1860年]]9月に横浜の外国人居留地で初めて行われた。外国人居留地の競馬では馬券が発売されていたが、外国人居留地で[[治外法権]]が認められていた間は、江戸幕府や明治政府による賭博の禁止の影響を受けなかった。日本政府容認の近代競馬としては黙許として[[1906年]]11月に東京の[[池上競馬場]]で初めて開催された馬券発売を伴う競馬が最初とされる。[[1923年]]7月に旧競馬法が施行されたことにより全国11の公認競馬倶楽部で馬券発売を伴う競馬の開催が完全に合法化された。
 
[[第二次世界大戦]]後に戦災からの復興支援を主目的とした[[ギャンブル賭博#公営ギャンブル|公営ギャンブル]]の一つとして開催されることになった。まず、戦前から開催されていた公営競馬の馬券販売が終戦後の[[1946年]]に再開された(戦争の影響で[[1944年]]から[[1945年]]までは馬券販売が禁止されたため小規模な能力検定競走のみ開催されており、また終戦直後の混乱期の1945年から1946年までは地方で非合法な[[闇競馬]]が開催されていた)。また競馬だけでなく、[[1948年]]11月に[[福岡県]][[小倉市]](現[[北九州市]])で初めて競輪が開催され、[[1950年]]10月に[[千葉県]][[船橋市]]で初めてオートレースが開催され、[[1952年]]4月に[[長崎県]][[大村市]]で初めて競艇が開催されるなどし、公営競技の種類が増えていった。
 
その後、昭和30年代に反ギャンブルの運動が高まったことを受け、[[1962年]]9月に総理府の公営競技調査会から公営競技の規模を現状維持とする長沼答申が出され、競技場新設が事実上行われなくなった(廃止されたところの「代替地」としての新設例は存在する。また、[[1979年]]6月に総理府総務長官の私的諮問機関である公営競技問題懇談会で出された吉国答申で、場外発売所の新設が容認された)。
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=== 公営競技における記録 ===
2014年3月現在のデータ
* 歴代最年長 - オートレースは[[谷口武彦]](現役)、ボートレース競艇は[[加藤峻二]](現役)、競輪は[[湯浅昭一]](68歳引退)、競馬の騎手は中央が[[岡部幸雄]](56歳引退)で地方が[[山中利夫]](63歳引退)<ref>[http://www.toonippo.co.jp/tokushuu/scramble/scramble2012/20120321.html 古希レーサー奮闘/別格“長寿”注目浴びる] - 東奥日報、2012年3月21日</ref>。
* 最年長勝利記録 - [[2014年]]2月17日の川口オート1R第1レースにおける、[[谷口武彦]](浜松・4期)。当時72歳81日。自身が持つ記録を更新した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2014/02/17/kiji/K20140217007609340.html 谷口 公営競技の最年長V記録更新!72歳81日] - スポニチ、2014年2月17日</ref><ref>[http://www.daily.co.jp/newsflash/horse/2014/02/17/0006715591.shtml 【オート】72歳谷口が最年長記録更新] - デイリースポーツ 、2014年2月17日</ref>。
 
* 史上最高配当 - [[2010年]]10月21日の競輪「[[チャリロト]]」(ただし発売単位は100円でなく一口200円)。9億598万7400円<ref>[http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2014/03/04/kiji/K20140304007705190.html 公営の史上最高配当は競輪「チャリロト」9億598万円] - スポニチ、2014年3月4日</ref>。
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== 関連項目 ==
* [[レースガイド]]
* [[ギャンブル賭博]]
* [[投票券 (公営競技)]]
* [[国営競馬]]
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== 外部リンク ==
* [http://keirin-station.com/ 競輪ステーション ] - 競輪総合情報サイト
* [http://www.syukan-race.co.jp/ 週間レース] - 日本の公営競技の総合情報誌
* [http://www.race-guide.com/ WEBレースガイド!] - 関東地方の公営競技の案内サイト