「カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ」の版間の差分
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[[Image:Adolph_Menzel_-_Flötenkonzert_Friedrichs_des_Großen_in_Sanssouci_-_Google_Art_Project.jpg|thumb|right|375px|'''[[アドルフ・フォン・メンツェル]]'''作画の「'''[[サンスーシ宮殿|無憂宮]]におけるフルート演奏'''」。[[1852年]]の[[歴史画]]であり、作者の想像に基づいている(実際の現場を忠実に模写したものでない)。中央で右向きに立って[[フルート]]を吹いているのがフリードリヒ大王で、そのかたわらに(閲覧者に背を向けて)腰掛け、大王を横目に見ながらチェンバロで[[伴奏]]しているのがカール・フィリップ・エマヌエル]]
{{Portal クラシック音楽}}
'''カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ''' ('''Carl Philipp Emanuel Bach''', [[1714年]][[3月8日]] [[ヴァイマル]] - [[1788年]][[12月14日]] [[ハンブルク]])は[[ドイツ]]の[[作曲家]]。[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]]が
弟[[ヨハン・クリスティアン・バッハ|ヨハン・クリスティアン]]が[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]を教え導いたように、カール・フィリップの作風は、[[ハイドン]]や[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]に多大な影響を与えた。生前は父の[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|ヨハン・ゼバスティアン]]よりも有名で、兄弟の中では誰よりも世俗的な成功を収めたが、本人は父の指導があったからこそ自分が成功することができたと訴え続けた。その意味においては、初期のバッハ神話を創り出した張本人であったと言える。
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