「三田紀房」の版間の差分

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TempuraDON (会話 | 投稿記録)
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; 大学卒業後
: 大学4年の盆過ぎに初めて就職相談を行った結果、流通業界しか採用活動をしていなかった事から、大学卒業後はそのまま[[西武百貨店]]へ就職。しかし1年後、2つの衣料品店を経営していた実父が、店の業績が芳しくない中体調を崩してしまった事から、退職して岩手の実家に戻り兄とともに家業を手伝う。しかし経営不振に悩む中、家業を継いでから2年後に父は病死、その後多額の借金の存在も明らかになり資金繰りに苦しむ事になる。
: 店の経営に悩む中マンガ雑誌の新人募集の広告が目に留まり、賞金を得ようと漫画の製作・新人賞応募を即決。義姉(実兄の妻)が[[村上もとか]]の妻と親交があった事から、取材で頻繁に岩手に来ていた村上に作品を評価してもらいながら独学で投稿作を完成させ、3社に応募。30歳の時、講談社の第17回[[ちばてつや賞]]一般部門に入選する。「紙になんか書いて50万とはワリが良い」と6年続けた支店をすぐに閉店、再び上京し漫画家としては遅いスタートを切った。[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]としての経験がないばかりか、学生時代に創作活動をしていたわけでもない。
; デビュー後
: スポーツ漫画、特に野球漫画で徐々に頭角を現していたが、仕事は細々であったため生活はギリギリの状態であった。そんな中『漫画ゴラク』の編集者の「アンケートで1位をとろう」という激励が転機となり、自らアンケート結果などを研究し「売れるマンガ」のパターンを研究するようになる。