「ダニエル・グーチ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
リンク修正、継承ボックス
編集の要約なし
1行目:
[[ファイル:Daniel Gooch.png|thumb|right|レスリー・ウォード([[:en:Leslie Ward|Leslie Ward]])の描いたダニエル・グーチ、[[1882年]]]]
'''初代[[准男爵]]、サー・ダニエル・グーチ'''(Sir Daniel Gooch, 1st Baronet、[[1816年]][[8月24日]] - [[1889年]][[10月15日]])は、[[グレート・ウェスタン鉄道]]の初代技師長(CME: chief mechanical engineer)を[[1837年]]から[[1864年]]まで務め、後に[[会長]]を[[1865年]]から[[1889年]]まで務めた人物である。
 
[[ノーサンバーランド (イングランド)|ノーザンバーランド]]州{{仮リンク|ベドリントン|en|Bedlington}}生まれで、<!-- the son of an ironfounderのironfounderの意味不明 -->多くの会社で工学の経験を積み、[[ロバート・スチーブンソン]]の会社でも働いていたことがあるが、21歳そこそこの時に[[イザムバード・キングダム・ブルネル]]によってグレート・ウェスタン鉄道へと招かれた。彼のグレート・ウェスタン鉄道での初期の活動は、ブルネルの発注した雑多な[[広軌]]の[[蒸気機関車]]との格闘であった。これらの機関車の中で最も優れていた、ブラストパイプの配置の改良を行った{{仮リンク|グレート・ウェスタン鉄道スター型蒸気機関車|en|GWR Star Class|label=スター型}}をモデルとして、彼は[[1840年]]に[[車軸配置]]2-2-2の急行旅客用機関車{{仮リンク|グレート・ウェスタン鉄道ファイアフライ型蒸気機関車|en|GWR Firefly Class|label=ファイアフライ型}}を設計して導入した。軌間委員会(the Gauge Commissioners)の比較試験では、このクラスのイクシオン(Ixion)号が、その[[標準軌]]のライバルよりも高速を出すことができることを証明した。[[1843年]]にはグーチは新型の[[弁装置]]を導入した。
39行目:
[[Category:イギリスの鉄道技術者]]
[[Category:イギリス保守党の政治家]]
[[Category:イギリスの準男爵]]
[[Category:1816年生]]
[[Category:1889年没]]