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'''田村徳治'''(たむら とくじ、[[1886年]]-[[1958年]])は、日本の[[行政学者]]・[[政治学者]]。[[蝋山政道]]と並ぶ日本の[[行政学]]創始者の一人。[[博士(法学)]]([[京都帝国大学]])。[[秋田県]][[鹿角郡]][[花輪町]](現在の[[鹿角市]])生まれ
 
1913年[[東京高等師範学校]]英語科卒業。1916年京都帝国大学法学部政治科卒業。1916年京都帝国大学大学院([[旧制]])特別研究生。後に、京都帝国大学法学部助手。1920年京都帝国大学法学部[[助教授]]に就任。1922年[[独]]・[[英]]・[[仏]]・[[米]]に2年間留学。1924年京都帝国大学法学部[[教授]]に就任。1933年[[滝川事件]]によって京都帝国大学を退職。1934年[[関西学院大学]]法文学部教授に就任(~1940年)。1934年[[立命館大学]]非常勤講師(~1936年)。1941年[[同志社大学]]法学部教授・同志社大学文化研究所長(~1947年)、1947年[[財団法人]][[中京法律専門学校|(現・[[中京法律専門学校]]客員講師(~1951年)。1948年[[関西大学]]や立命館大学の非常勤講師(~1950年)。1951年関西学院大学法学部教授。1958年関西学院大学在職中に逝去。
==主著==
*『思想財産の移入の原理』(大村書店 1922年)