「陸軍航空工廠」の版間の差分

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[[1945年]](昭和20年)8月15日の敗戦後、立川飛行場とともに米軍に接収される。洗濯工廠や死体処理場、死体焼却炉、居住区域などに転用され、[[1977年]](昭和52年)11月30日の飛行場全面返還と同時に返還された。それから30年以上処分留保地とされ廃墟森林と化していた。
 
[[2013年]](平成25年)9月27日より始まった立川基地跡地再開発事業により更地にされ、[[国際法務総合センター]]の建設工事や宅地化工事が始まっている。そのため、6本残っていた煙突のうち2本は2013年2月頃に解体(同時に洗濯工廠の建物やエンジンテストの台座、変電施設、職員アパートなど多くの建物も姿を消した)。また、この廃墟の象徴である三本煙突は2014年9月頃に解体された。昭島口近くの地下暖房用蒸気発生槽の煙突)は現存する
[[File:Tatikawa AB ato2.jpg|thumb|250px|蒸気発生槽の煙突]]