「後藤三右衛門」の版間の差分
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天保8年([[1837年]])、再び改鋳を実施し、[[天保小判]]の鋳造を開始した。これらの改鋳によって、幕府には多大な改鋳利益がもたらされた。
天保13年([[1842年]])、物価高の原因は天保[[二朱金]]や[[天保小判]]のような悪貨発行の連発にあるとする上申書を忠邦に提出した。物価の高騰はもとより忠邦による[[天保の改革]]の趣旨に反することからこの上申が容れられ天保小判の鋳造は一時中断するが、忠邦の失脚により天保15年
この事件の発覚により天保通宝の鋳造は一時中断されるが、弘化4年から再び鋳造が再開された。▼
▲この事件の発覚により天保通宝の鋳造は一時中断されるが、弘化4年([[1847年]])から再び鋳造が再開された。
== 出典・後藤光亨が登場するTV・書籍 ==▼
*テレビドラマ「[[江戸を斬る]]」(俳優:[[田中明夫]])
*[[みなもと太郎]]『[[風雲児たち]]』
*「夢空幻 金座御金改役・後藤三右衛門の生涯」堀和久・講談社 ▼
== 出典 ==
*後藤三右衛門 林栄 銀河書房▼
{{参照方法|section=1|date=2014年10月}}
== 関連項目 ==
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[[Category:江戸時代の技術者]]
[[Category:信濃国の人物]]
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[[Category:1845年没]]
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