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[[Image:Karl Verner.jpg|thumb|カール・ヴェルナー]]
'''カール・アドルフ・ヴェルナー'''(Karl (Adolph) Verner {{IPA-da|kɑːˀl ˈʋaɐ̯ˀnɐ|lang}} <small>カール・ヴァーナ</small>、[[1846年]]3月7日 [[オーフス]] – [[1896年]][[11月5日]] [[コペンハーゲン]])は、[[デンマーク]]の[[言語学|言語学者]]。1875年に発見した[[ヴェルナーの法則]]によって現在も名が知られる。姓はヴェルネル<ref name="kazama">{{cite book|和書
|author=[[風間喜代三]] |title=言語学の誕生 |year=1978| publisher=[[岩波新書]]| pages=145-146}}</ref>・フェルネルなどとも表記される。
 
言語学に対するヴェルナーの興味は[[ラスムス・ラスク]]の著作を読むことによって培われた。ヴェルナーは1864年に大学で学習をはじめ、東洋語・[[ゲルマン語]]・[[スラブ語]]を学んだ。いったん軍務についたが、除隊後に研究を再開した。1871年12月には[[ロシア]]に旅行し、約1年かけてロシア語を勉強した。彼の最初の学問的論文は「Nogle Raskiana」(1874)である。
 
同時期にヴェルナーは[[デンマーク語]]とスラブ諸語の[[アクセント]]の研究を開始した。ヴェルナー本人が口頭で語ったところによると、ある朝起きたときに、[[ゴート語]]の2つの単語 ''fadar''(父)と ''broþar''(兄弟)の語根の[[母音]]のあとの[[子音]]が d と þ で異なる(印欧祖語ではどちらも *t で同じ)理由に頭を悩ませた。ちょうどアクセントの研究をしていたところだったので、アクセントによって説明ができるかを探求した。それでヴェルナーの法則を発見できたという。1875年に論文を書きあげて{{仮リンク|ヴィルヘルム・トムセン|en|Vilhelm Thomsen}}に見せた。トムセンにせかされ、同年ヴェルナーはその論文をドイツ語に翻訳して公刊した<ref>{{cite journal
|author=Verner, Karl
|title={{lang|de|Eine Ausnahme der ersten Lautverschiebung}}
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|pages=97-130
|url=https://archive.org/stream/zeitschriftfrve08unkngoog#page/n108/mode/2up
}} (第一音韻変化推移の例外)</ref>。
 
優れた業績をあげたにもかかわらず、ヴェルナー本人はゲルマン文献学に関して自分がアマチュアにすぎないと考えていた。教授職への誘いを断って、[[ハレ (ザーレ)|ハレ]]大学の図書館員としての仕事に満足していた。1877年に[[フランツ・ボップ|ボップ]]賞を受賞したが、賞への応募にもあまり気乗りしなかった。1888年<ref>風間によると1883年</ref>にようやく員外教授の職についた。同年{{仮リンク|デンマーク王立科学文学アカデミー|en|Royal Danish Academy of Sciences and Letters}}の会員に選出された。
 
== 脚注 ==