「人頭税」の版間の差分

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[[消費税]]と同様に[[所得]]の無い人にも課税する税であるが、消費税の場合は[[消費]]額に比例して課税額が増えるのに対して、人頭税の税額は一律であるために、所得に対する負担率に関して言えば、少ない人ほど大きく、多い人ほど少なくなる。
 
この点、{{要出典|形式的平等を重視する[[新自由主義]]の立場|date=2014年2月|}}を徹底すると、人頭税が最も合理的な税制ということもできる。すなわち、理念的に見て、人頭税は国民一人あたりの行政コストを均等に負担させる税であり、行政コストへの負担を均等に意識させることによって、小さな政府の実現を志向する税制だといえる。[[竹中平蔵]]は人頭税導入に言及しているが、一方で政策的には実現不可能だとも述べている<ref>『経済ってそういうことだったのか会議』第3章 1999年、日経ビジネス人文庫</ref>
 
[[2013年]]([[平成]]25年)現在ではこうした制度を採っている国はない。なお、[[国民年金]]の保険料が実質的に人頭税になっているという批判はある<ref>日本経済「余命3年」第3章 社会保障をどうすべきか PHP研究所 (2011)</ref>
 
== 歴史 ==
[[古代]]から[[封建制]]にかけての時代には、多くの国で導入されていたが、所得に対して逆進性の強い税制であるため、2014年現在ではほとんどの国で導入されていない。[[所得]]が無くてもそこに住んでいるだけで課税される。そのため、困窮した庶民が逃亡したりすることもあった。逆にこれを利用して、特定の民族を排斥する意図で導入されることもあり、19世紀後半の[[カナダ]]では増加した[[華僑|中国系]]の排斥を目的に人頭税を課した事例がある<ref>{{cite news |title=中国人コミュニティー動揺 カナダ、富裕外国人への移民プログラム大幅見直し |newspaper=[[産経新聞]] |date=2014-4-19|url=http://sankei.jp.msn.com/world/news/140419/amr14041910060006-n1.htm |accessdate=2014-4-29 | author=黒沢潤 }}</ref>。
 
[[古代ローマ]]には[[カピタティオ・ユガティオス制]]があり、中世[[ヨーロッパ]]、[[ロシア]]にも存在。
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[[イスラーム]]諸王朝では、[[ジズヤ]] (jizya) が知られている。ジズヤは非ムスリム(イスラム教徒)に対して一定程度の人権の保障の見返りとして課せられるもので、非ムスリムに対しイスラームの優位を誇示する効果があった。非ムスリムがイスラームへ改宗した場合には免除された([[ウマイヤ朝]]時代には改宗した場合でも徴収された)。
 
[[1990では、]]に[[イギリス]]で[[マーガレット・サッチャー|サッチャー]]政権時代の[[1990年]]に導入された例があるが、国民世論の反発が強く1990年[[11月22日]]に辞任する一因となり、[[1993年]]に廃止された(イギリスでは個人ではなく家に[[住民税]]がかかる)。また

2014年にイラクとシリアの一部を実効支配する[[イラクとシャームのイスラーム国|イスラーム国]](国際的に未承認)が、領域内のキリスト教徒に対して人頭税を要求した事例がある。これは先述のジズヤと絡み、復古的なイスラーム支配を目指すものと指摘された<ref>{{Cite news
| url=http://www.yomiuri.co.jp/world/20140719-OYT1T50113.html
| title=「イスラム国」が殺害示唆、キリスト教徒脱出
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}}</ref>。
 
=== 日本 ===
[[日本]]では、[[薩摩藩|薩摩]]支配下の[[琉球王国]]により[[宮古島]]・[[八重山諸島]]において「正頭(しょうず)」と呼ばれる15歳から50歳まで(数え年)の男女を対象に[[1637年]]から制度化され、年齢と居住地域の耕地状況(村位)を組み合わせて算定された額によって賦課が行われた([[古琉球]]時代説もある)。平均税率が八公二民と言われるこの税制度は、[[1893年]]([[明治]]26年)に[[中村十作]]、[[城間正安]]、[[下地真牛]]、[[西里蒲]]ら4人により、[[沖縄本島]]での官憲や士族らの妨害を乗り越えて、当時[[内務大臣 (日本)|内務大臣]]であった[[井上馨]]に国会請願書が届けられた。また、中村の同郷([[新潟県]])の[[読売新聞]]記者増田義一の記事で国民に周知されるところとなり、世論の後押しも受け第8回[[帝国議会]]において[[1903年]](明治36年)廃止された<ref>
平均税率が八公二民と言われるこの税制度は、[[1893年]]([[明治]]26年)に[[中村十作]]、[[城間正安]]、[[下地真牛]]、[[西里蒲]]ら4人により、[[沖縄本島]]での官憲や士族らの妨害を乗り越えて、当時[[内務大臣 (日本)|内務大臣]]であった[[井上馨]]に国会請願書が届けられた。また、中村の同郷([[新潟県]])の[[読売新聞]]記者増田義一の記事で国民に周知されるところとなり、世論の後押しも受け第8回[[帝国議会]]において[[1903年]](明治36年)廃止された。<ref>
高良倉吉「人頭税」(『国史大辞典 15』(吉川弘文館、1996年) ISBN 978-4-642-00515-9)</ref>。
 
なお2014年現在の[[住民税]]などは収入に関係なく居住([[住民票]]所在地)に賦課されるシステムになっており税額が些少だが人頭税に該当する。
 
== 学者の見解 ==
=== 日本 ===
[[竹中平蔵]]は人頭税導入に言及しているが、一方で政策的には実現不可能だとも述べている<ref>『経済ってそういうことだったのか会議』第3章 1999年、日経ビジネス人文庫</ref>。
 
[[国民年金]]の保険料が実質的に人頭税になっているという批判がある<ref>日本経済「余命3年」第3章 社会保障をどうすべきか PHP研究所 (2011)</ref>{{誰|date=2014年10月|}}。
 
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
* [[人頭税石]]
* [[累進課税]]