「青蓮院」の版間の差分

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長い石段は馬の出入りが自由にできず、考証的に不合格と言ってよかったが、この門前の厳めしさと気品が雰囲気に合い、各撮影所が「町奉行所」とか「薩摩屋敷」として多用した。
 
[[稲垣浩]]監督は1941年(昭和16年に[[阪東妻三郎]]主演の映画『江戸最後の日』で、薩摩屋敷としてこの門前を使った。ところがこの門前は北向きであるので冬季は門前に日が当たらず、夏季は楠が茂って門の半分を隠し太陽を遮ってしまい、しかも仰角度から狙えず、キャメラマン泣かせの場所だった。
 
1948年(昭和23年に[[清水宏]]監督が青蓮院に立て籠り、『蜂の巣の子たち』という映画の構想を練った。戦災孤児や不良児たちを十数人この寺に収容し、その甦生を指導しながら彼らの日常生活や生態をドキュメント風に写し撮ったのである。門前のほかは映画撮影のための入門を許さなかった青蓮院だが、当時この寺は経済的に困窮していたために相互扶助が生じたようで、実現しなかったが一時は「清水監督をこの寺の住職に」との話もあったという<ref>『日本映画の若き日々』([[稲垣浩]]、毎日新聞社刊)</ref>。
 
==脚注==