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TAROTA (会話 | 投稿記録)
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== 来歴・人物 ==
[[PL学園中学校・高等学校|PL学園高校]]時代は[[投手]]として春2回、夏1回に出場し、ベスト8(同期に[[福留孝介]]がいる)が最高。その後、[[東洋大学硬式野球部|東洋大学]]へ進学。東都大学1部、2部、リーグ通算90試合出場、打率.253、7本塁打、33打点。{{by|1999年}}の[[1999年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト]]3位で[[大阪近鉄バファローズ]]に入団。入団1年目から開幕スタメンで出場するなど、巧守の内野手として{{by|2004年}}までに405試合に出場。特に試合後半の[[守備固め]]として[[二塁手]]や[[遊撃手]]を務めることが多かった
 
入団1年目{{by|2000年}}は開幕スタメン「9番ショート」で出場するが、当時の二遊間はセカンドに[[水口栄二]]、開幕戦はセカンドだった[[武藤孝司]]がショートのレギュラーをつかんでおり、前半戦はスタメンはわずか7試合で、出場は主に守備固めが多かったが後半戦に入った後、武藤が肩を損傷(詳しくは武藤の頁参照)、セカンドやDHに入ったためスタメンの機会を与えられた。
 
2年目の{{by|2001年}}は開幕戦が絶望的となった武藤の代用員として2年連続で開幕スタメンに入る。その後ルーキーの[[阿部真宏]]との併用が続く。6月にドジャーズ経由で来日した[[ショーン・ギルバート]]が合流、ギルバートは当初セカンドが主だったが、7月に入りショートを守るようになったためスタメンを奪われる。ギルバート合流後はスタメン出場がわずか22試合であった。
 
その後もショートとして阿部が頭角を現し、{{by|2002年}}は前半戦はわずか1試合のスタメン、後半戦は27試合スタメンだった。
 
{{by|2003年}}も阿部のほかに[[星野おさむ]]もショートの争いに加わり、スタメンはそれまでで自己最少の11試合だった。
 
スタメンが少ない一方、堅実な守備から2000年49試合、2001年48試合、2002年27試合、2003年44試合、{{by|2004年}}12試合と、2004年までに405試合のうち180試合守備固めに出場。
 
{{by|2005年}}、[[選手分配ドラフト]]により[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]に移籍。シーズン中(交流戦期間中)、[[沖原佳典]]とのトレードで[[阪神タイガース]]へ移籍し、楽天から移籍退団した初めての選手となった。