「アブドゥルマリク」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Misjonarz (会話 | 投稿記録)
Template:Otheruses
編集の要約なし
3行目:
 
== 略歴 ==
[[685年]]に父である第4代カリフの[[マルワーン1世]]が死に、カリフに即位する。即位後は[[ムアーウィヤ]](1世)死後から進む[[イスラム世界]]の分裂を抑えるため、軍を動かして反対運動を制圧した。[[692年]]、[[アル=ハッジャージ・イブン・ユースフ]]の率いる大軍を[[メッカ]]に派遣し、カリフを自称して反ウマイヤ運動を展開していた[[クライシュ族]]の有力者[[アブドゥッラーイブン・アッズバイル]]を滅ぼし、帝国全土の支配を回復した<ref name=shimada>嶋田(1978)p.17</ref>。対外面においては[[東ローマ帝国]]と戦って領土を拡大したうえ、東はアル・ハッジャージを[[イラク]][[総督]]に、西は[[ムーサー・イブンヌサイル]]を[[北アフリカ]]総督に任じ、2人の活躍により、それぞれ[[シンド]]・[[ソグディアナ]]地方と[[モロッコ]]西部まで版図を拡大した。経済面においては、新たに[[金貨]]([[ディーナール]]金貨)・[[銀貨]]([[ディルハム]]銀貨)を鋳造した。彼の治世において[[アラビア語]]を[[公用語]]にしたことは功績のひとつといわれている。しかし、[[キリスト教徒]]を嫌って激しく[[弾圧]]した。[[705年]]、59歳で死去し、後を子の[[ワリード1世]]が継いだ。
 
== 岩のドームの建設 ==