「岩宿遺跡」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Wtsdudtn (会話 | 投稿記録)
m 外部リンクの追加 岩宿遺跡に関するYouTubeの動画
シフミ (会話 | 投稿記録)
脚注節、参考文献、試掘
8行目:
[[1949年]](昭和24年)、[[杉原荘介]]の主導による[[明治大学]]の[[発掘調査]]で、切通しの北側がA区、南側がB区と命名され、A区において上下2層の石器文化層が確認された。
 
下層の黒褐色層岩宿I文化(約3万年前)と呼ばれる石器群は、地表の下約1.5メートルの中部ローム最上部の暗色帯中に包含されており、楕円の形状をなす[[打製石斧]]2点の他<ref group="†">1945年9月11~13日の試掘の最終日の午後雨の中崖面を掘っていた杉原のスコップが石に当たり、カチンと音がし、両面加工の楕円家握り槌(ハンドアックス)を発掘した。</ref><ref name="iwazyu34">松藤和人・門田誠一編著 『よく分かる考古学』 [[ミネルヴァ書房]]<やわらかアカデミズム>・<わかる>シリーズ 2010年 p.35</ref>、[[掻器]]類、2次加工のある刃器状[[剥片]]、[[石核]]があり、石材には主に[[頁岩]]が認められる。同層からは多数の自然礫や[[クリ]]材の炭化物もみられた。この結果は、旧石器時代の段階における植物資源の広汎な活用を示唆する。この暗色帯の最上部には[[姶良Tn火山灰]](AT火山灰)が確認されており、このことより、岩宿I文化の年代は今から2.5万年以上前にさかのぼると考えられる。
 
A区上層の黄褐色層岩宿II文化(約2万年前)は、上部ローム層中に含まれる切出状の[[ナイフ形石器]]を指標とする文化で、[[メノウ|瑪瑙]]、頁岩、[[黒耀石]]、[[安山岩]]などさまざまな石材が用いられている。
 
== 略年表 ==
27行目:
* 発掘調査によって関東ローム層の別々の層から2つの石器群が発見された。このことから約3万年前と約2万年前の2つの異なる文化の段階が分かる。
* 打製石器や陶器、刃器状の破片なども多く見つかっている。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
<references group="†" />
=== 出典 ===
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
* 松藤和人・門田誠一編著 『よく分かる考古学』 [[ミネルヴァ書房]]<やわらかアカデミズム>・<わかる>シリーズ 2010年 ISBN 978-4-623-05563-0
 
== 関連項目 ==