「祥符区」の版間の差分
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かつて祥符区の範囲には、啓封県、浚儀県、陳留県という3つの県があった。[[北宋]]の[[大中祥符]]二年([[1009年]])、浚儀県は年号をとって'''祥符県'''と改名され、中華民国二年([[1913年]])に開封県と改められた。陳留県は1957年5月31日に開封県に編入されている。
このうち、'''朱仙鎮'''は開封市街から南に20kmほど離れた町で、[[明]]・[[清]]代には江西省の[[景徳鎮市|景徳鎮]]・広東省の[[仏山市|仏山鎮]]・湖北省の[[漢口|漢口鎮]]と並ぶ「四大名鎮」の一つと称される商都であった。現在は静かな田舎町で、[[木版]][[年画]]の有名な場所である。▼
2014年、国務院は開封市の行政区画の変更を行い、開封県を廃止して祥符区を置いた。
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また[[南宋]]の武将・[[岳飛]]が[[金 (王朝)|金]]に対する北伐の過程で開封にほど近い朱仙鎮にまで兵を進めたことでも知られる。明代には岳飛廟が建てられ、現在は観光名所になっている。
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