「マドレーヌ・ベジャール」の版間の差分

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17世紀フランスにおいて、演劇一家として有名であったベジャール家の出身。森林水資源監督庁の[[廷吏]]であった父ジョセフと肌着商人の母マリー=エルベの間に、長女として生まれた。父が絶えず巨額の借金を抱えていたため、一家の生活は決して楽なものではなかった<ref>わが名はモリエール,鈴木康司,P.5,大修館書店</ref>。1633年、15歳の時ピエール・ルノルマンと結婚しかけた。契約書まで交わしたが、立会人の署名がなかったため無効となった。この理由はわからないが、ルノルマンがマドレーヌの最初の男となったのは間違いがないようだ<ref>鈴木 P.6</ref>。
 
彼女がいつ頃から演劇の道に進んだのかは明らかでないが、1635年に出版された[[:fr:Jean de Rotrou|ジャン・ド・ロトルー]]の悲劇作品の冒頭に、マドレーヌの賛辞の詩が掲載されていることを考えると、18歳の若さですでに人気のある有名女優であったのではないかと考えられる<ref>鈴木 P.6</ref>。この頃には2000リーヴルもの収入があり、庭付きの家を購入するほどだったようだ<ref>モリエールの実生活と劇作 : 彼の女性関係をめぐって,片山正樹,人文論究 9(3), P.104, 1958-12</ref>。
 
叔母が詩人として名高い[[トリスタン・レルミット]]の兄弟と結婚したのをきっかけに、モデーヌ伯爵と知り合った。モデーヌ伯爵はルイ13世の弟、[[ガストン (オルレアン公)]]の侍従であった。1638年7月3日には、パトロンであったモデーヌ伯爵との間にフランソワーズという子供を出産し<ref>モリエールをめぐって : マドレーヌ・ベジヤールとアルマンド・ベジヤールの関係について 窪川英水 駒澤大學文學部研究紀要 20, P.10, 1962-03 </ref>、伯爵もこの子供を自分の子供として認知したが、1639年には関係を解消せざるを得なくなった。主人であるガストンらによって企てられた枢機卿[[リシュリュー]]暗殺の陰謀が露呈し、伯爵自身の身にも危険が迫ってきたからである。危険が去ると伯爵は再びマドレーヌや。モリエールらと良好な関係を結ぶようになった。娘のフランソワーズがその後どうなったのかは、一切伝わっていない<ref>鈴木 P.7-8</ref><ref>世界大百科事典第2版 「ベジャール一家」項より</ref>。
 
そして同じ頃、どのように出会ったのかはわからないが、モリエールと出会い、生涯に亘っての関係が始まった。このマドレーヌとの出会いがモリエールを演劇の道へ導いたとする説もある<ref name='筑摩書房 P.465'>筑摩書房 P.465</ref>。