「田中道夫」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
25行目:
|調G1 =
|調通 = 7332戦877勝<ref group="注">2013年末時点。</ref><ref name="nardata"/>
|所 = [[兵庫県立西脇馬事公苑||西脇トレーニングセンター]](1996年 - )
}}
 
32行目:
== 経歴 ==
=== 騎手時代 ===
元々は厩務員であったが、1973年12月24歳の時に[[園田競馬場|園田]]の阿部和男厩舎所属騎手としてデビューする<ref group="注">ただし、免許取得は11月からである。12月に11回、1月に7回目でようやく初勝利を挙げた。</ref><ref name="furlong199511"/><ref name="hyogouma"/>。しかし翌年1月の初勝利までわずか18鞍しか乗れないなど、当初は騎乗機会に恵まれなかった<ref name="chiho198809"/>。[[厩務員]]時代から収入も激減し、妻子を抱えて[[晩酌]]の[[ビール]]も[[ストロー]]ですするような有様だったが<ref name="chiho198809"/>、当時兵庫のトップジョッキーの一人であった[[石川昇]]からも「田中君のスタートは巧い」と認められたように、着実に技術に磨きをかけていく<ref name="hyogouma"/>。また所属の阿部和男調教師も、馬主から田中を下ろすよう迫られた際には、当時厩舎に6頭しか馬がいなかったにもかかわらず、「それなら馬を引き上げてください」と一歩も引かずに田中を庇ったという<ref name="chiho198809"/>。
 
こうした周囲のサポートと本人の努力によって成績は年々上向いていき、1978年には[[石川昇]]から兵庫のリーディングジョッキーを奪取<ref name="hyogouma"/>。以後[[寺嶋正勝]]、[[保利良次]]らとの間で厳しい競争を演じつつ、年間200勝達成3度を含め14年間にわたってリーディングの座を保ち続けた<ref name="hyogouma"/>。1982年と1988年には、[[地方競馬]]全体のリーディングジョッキーにも輝いている<ref name="keibashi4"/>。リーディング上位に顔を出してからも不思議と重賞勝利と縁がなかったが、1980年に[[新春賞 (園田競馬場)|新春賞]]をトウカイで制してようやく重賞初勝利<ref name="hyogouma"/>。その後は重賞勝ちを量産し、1983年には当時年間18個施行されていた兵庫の重賞競走のうち、半数にあたる8個を制している<ref name="hyogouma"/>。1989年には[[ワールドスーパージョッキーズシリーズ]]で準優勝の好成績を収めた<ref group="注">同シリーズには1991年にも出場を果たしている。</ref><ref name="furlong199511"/>。
 
1991年、[[日本プロスポーツ大賞]]功労賞を受賞<ref name="keibashi5a"/>。1992年には年末に騎乗停止を受けたことも響いて[[小牧太]]にリーディングの座を奪われたが<ref name="muck"/>、1993年9月13日には地方競馬通算3000勝を達成<ref name="hyogouma"/>。この年には[[NARグランプリ特別賞]]も受賞している<ref name="furlong199511"/>。だが「思うように身体が動かなくなった」ことから、1995年9月27日を最後に騎手を引退した<ref name="furlong199511"/>。地方競馬における通算成績は'''16860戦3164勝'''。
 
=== 代表騎乗馬 ===
182行目:
<ref name="daily0101">デイリースポーツ online, [http://www.daily.co.jp/horse/2013/01/01/0005639397.shtml 田中学&道夫が史上初親子リーディング](2014年11月8日閲覧)。</ref>
<ref name="narrank">[http://www2.keiba.go.jp/KeibaWeb/DataRoom/DataRoomTop Keiba.go.jp, 調教師リーディング](2014年11月8日閲覧)。</ref>
<ref name="muck">洋泉社『競馬大再編!? 地方騎手達の逆襲:アンカツがニッポン競馬を変える!』84頁。</ref>
}}
 
{{Template:兵庫競馬最多勝利騎手}}
{{keiba-stub}}
{{DEFAULTSORT:たなか みちお}}