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オクヤマ (会話 | 投稿記録)
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その後、[[呼延灼]]率いる官軍が梁山泊討伐に来襲。呼延灼の連環馬軍を破るために必要な鉤鎌鎗法を指揮できる人材である[[徐寧]]を梁山泊に勧誘するため、楽和は[[時遷]]・[[湯隆]]らと工作にあたった。また、[[盧俊義]]を梁山泊入りさせる際にも[[柴進]]とともに[[北京大名府|北京]]へ潜入している。
 
百八星勢揃いの際には機密伝達将校として歩兵軍に所属。平時には[[燕青]]の琴、[[馬麟 (水滸伝)|馬麟]]の歌に合わせて歌声を披露し、皆を楽しませた。その後梁山泊は朝廷の派遣してきた[[高キュウ|高俅]]の討伐軍を破ってこれを捕虜とし、解放を条件に朝廷への帰順を執り成してくれるよう約束し、楽和は[[蕭讓]]とともに使者として随行するが、高俅は約束を破って二人を軟禁し、後、燕青と[[戴宗]]に救出された。その後、梁山泊は招安を受けて官軍となるが、楽和は[[契丹|大遼]]征伐などではそれほど活躍しない。[[田虎]]討伐の戦いでは正月、雪が降ったとき蕭讓が雪の結晶についての講釈をし、楽和は手にとって見た雪がその通りなで子供のように喜んだ。さらにその雪が覗き込んだ李逵の鼻息で溶けてしまい一同、大笑いした。また、昭徳城攻略の際は場内に潜入して外の味方と呼応して敵を混乱させた。[[王慶]]平定戦の勝利後、都の灯篭祭りを見物しようと燕青を誘うが、李逵も一緒にいきたいと言い出した。楽和は李逵をあまりよく思っていなかったので、仕方がなく[[時遷]]を誘ってこっそり出かけた。その後、[[方臘 (水滸伝)|方臘]]征伐の準備中、都尉の王晋卿に歌のうまさを見込まれてお抱えとなり、好きな歌を歌って平穏に暮らし余生を送った。
 
『[[水滸後伝]]』では旧梁山泊軍の軍師格として活躍する。