「ペルディッカス」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
Stwsquartz (会話 | 投稿記録) ペルディッカスについての加筆 |
Stwsquartz (会話 | 投稿記録) m編集の要約なし |
||
1行目:
{{Otheruses|マケドニアの将軍ペルディッカス}}
'''ペルディッカス'''([[ギリシア語|希]]:{{lang|el|'''
== アレクサンドロスの下で ==
8行目:
ペルディッカスはアレクサンドロスの東征に参加し、[[グラニコス川の戦い]]、[[イッソスの戦い]]、[[ガウガメラの戦い]]といった主要な会戦で[[重装歩兵部隊]]を指揮した<ref>ibid, I. 24, II. 8, III. 11</ref>。クレイタルコス系資料によればペルディッカスはガウガメラの戦いで[[コイノス]]、[[メニダス]]と共に瀕死の重傷を負った<ref>Curt.,Ⅳ.16.32.cf.Diod.,ⅩⅦ.61.3</ref>
またソグディアナではアレクサンドロスが敵に備えて軍を五つの部隊に分け、ペルディッカスは第三部隊の指揮をした。パレイタカイでは岩砦攻略の為の工事をペルディッカスは、[[レオンナトス]]、プトレマイオスと共に監督をし、[[インド]]では、ペルディッカスは[[ヘファイスティオン]]と共に[[ゴルギアス]]、[[白のクレイトス]]、[[メレアグロス]]麾下の各歩兵全部隊、それに[[ヘタイロイ]]騎兵隊の半数
紀元前325年のマッロイ人との戦いではペルディッカスは指揮下の騎兵隊と[[クレイトス]]の騎兵隊およびアグリアネス人部隊を付け、現地のインド人が逃げ込んでいる別の[[マッロイ人]]の町に分遣され、アレクサンドロスはペルディッカスに市内の者達を監視するよう、ただしアレクサンドロスが傍まで迫っている事を、町から脱出した住民の一部が他の原住民に伝達しないようにせよと、指示されたペルディッカスが町に着くと、住民が全て逃亡した事を知るが、住民たちがまだ町からそれほど離れていない場所までしか逃げていない事が分か
== アレクサンドロスの死後 ==
ペルディッカスは臨終のアレクサンドロスによって印綬の指輪を渡され<ref>ユスティヌス, XII. 15</ref>、(ユニティヌスは、これを「暗黙の」後継者指名だったと記し<ref>Justin.,Ⅶ.15.13</ref>アッリアノスではこの経緯が
その後、ペルディッカスはバビロン会議で未だ征服されぬ[[カッパドキア]]を割り当てられた盟友エウメネスのためにカッパドキアへと遠征し、同地の王[[アリアラテス1世]]を滅ぼした。また、自らの勢力の安定化のため、重臣[[アンティパトロス]]との連携を目論み、彼の娘[[ニカイア]]との結婚を申し出たが、ペルディッカスを自分の側に引き入れようと考えたアレクサンドロス3世の母[[オリュンピアス]]は、自分の娘[[クレオパトラ]]との結婚を勧めた。そこでペルディッカスは一旦アンティパトロスの娘と結婚し、すぐ離婚してクレオパトラと結婚しようとした。アンティパトロスはそれに怒り、彼に警戒心を抱いていた[[クラテロス]]、プトレマイオス、[[アンティゴノス]]らの諸将と共に対ペルディッカス同盟を結び、戦争の運びとなった<ref>ibid, XIII. 6</ref>。
19行目:
== 逸話、エピソード ==
アッリアノスは『ギリシア奇談集』において「マケドニア人ペルディッカスは、アレクサンドロス
== 註 ==
{{reflist|2}}
|