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[[長江]]と[[漢水]]を挟んで鼎立する[[漢陽区|漢陽]]・漢口・[[武昌区|武昌]]の3市(鎮)は[[武漢市|武漢三鎮]]と呼ばれていたが、互いに大河で隔てられており連絡が不便であったため合一することはなかった。[[中華民国の歴史|中華民国期]]の1927年1月に初めて武漢市となり、[[国民政府]]が[[広州市|広州]]から遷都し、4月には武漢特別市となった。8月に[[武漢国民政府]]が[[蒋介石政権|南京国民政府]]に合流すると、再び分割され漢口特別市となった。[[1936年]]には日本総領事館の警察官が殺害される[[漢口邦人巡査射殺事件]]が起き外交問題となった。
 
[[太平洋戦争]]([[大東亜戦争]])中、[[アメリカ陸軍]]航空隊の[[B-29_(航空機)|B-29]]爆撃機による[[漢口大空襲]]で、駐屯する日本軍部隊もろとも焼夷弾で焼き尽くされ完全に破壊された。
 
1949年5月に[[中国人民解放軍]]の支配下に入り、武漢三鎮は再び統合され、武漢市人民政府が成立した。[[中華人民共和国]]成立以降、武漢市の下で市轄区となっている漢陽・武昌とは違い、漢口の名を冠する行政区は存在しない。かつての漢口の市域が大きく[[江岸区]]、[[江漢区]]、[[キョウ口区|礄口区]]、[[東西湖区]]の4区に分かれているためである。漢口地区は現代でも武漢の経済的な中心である。