「だんご汁」の版間の差分

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== 概要 ==
[[小麦粉]]で作った平たい[[麺]](だんご)を[[味噌]](または醤油)仕立ての汁に入れたものである。汁には[[ゴボウ|ごぼう]]、[[にんじん]]、[[ブナシメジ|しめじ]]、[[豚肉]]などが入り[[豚汁]]に似ている。ダシには[[いりこ]]が用いられる<ref name="toyota62"/>。
 
この「だんご」は小麦粉を塩水で練り耳たぶほどの固さになったものを一旦寝かせ、それから生地を親指大にちぎって一つ一つ手延べし平麺状の形にしたものである。手延べする事で歯ごたえがよくなり、汁も絡みやすくなるという<ref name="toyota62"/>。地域によっては麺状ではなく、ちぎった生地を引き延ばした文字通りだんご状のものを用いるところもある。
 
ちなみに、この麺状の「だんご」に[[きな粉]]と[[砂糖]]をまぶすと「[[やせうま]]」という大分県の郷土料理になる。やせうまは県内で広く食されており、[[涅槃会]]や[[お盆]]、[[七夕]]などのお供え物としても用いられる<ref name=toyota64>豊田(2006):64ページ</ref>。
 
平成17年(2005年)度に[[農林水産省]]が実施した食文化の継承についてアンケート調査によれば、今住んでいる地域の知っている郷土料理として、だんご汁を挙げた人が最も多かった<ref>[http://www.maff.go.jp/j/heya/h_moniter/ 食料品消費モニター調査結果] - 農林水産省による調査(平成17年度第2回「2. 食文化の継承について」(pdf)参照)</ref>。これは、だんご汁を郷土料理とする地域が広いことも一因と考えられるものの、だんご汁の知名度の高さを示すものと言える。
 
===だんご汁の起源に関する記述===
鎌倉時代に豊後国の守護を務めた大友能直の編集した『上記(うえつふみ)』には、だんご汁の起源に関する記述がある。<br>
それによると「荒ぶる神たちを平定するために国内を巡幸していたスサノオの命に、湯布院のあたりで振舞われた『きしま』が、だんご汁の起源であり、それに因んで現在の城島(きじま)という地名が誕生した」と書かれている。<br>
この上記(うえつふみ)が編集されたのは1223年(貞応2年)のことなので、少なくとも約800年前には、大分県にはだんご汁が存在していたことになる。<ref>出典:『上記』宗像本第四綴第九章より</ref><br>
{{Cite web |url=http://ugaya.jimdo.com/2014/04/26/%E3%81%A0%E3%82%93%E3%81%94%E6%B1%81%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90%E3%81%AF-%E3%82%B9%E3%82%B5%E3%83%8E%E3%82%AA%E3%81%AB%E3%81%B5%E3%82%8B%E3%81%BE%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F-%E3%81%8D%E3%81%97%E3%81%BE-%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F/ |title=だんご汁の起源は、スサノオにふるまわれた『きしま』だった。|accessdate=2014-04-26 }}
 
== 脚注 ==