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[[Image:Gérard Desargues.jpeg|right|180px]]
'''ジラール・デザルグ'''(Girard Desargues, [[1591年]][[2月21日]] - [[1661年]][[10月]])は、[[フランス]] [[リヨン]]出身の[[数学者]]である、[[建築家]]
 
[[リヨン無限遠点]]の出身で、初めて[[ユークリッド幾何学]]以外の[[幾何学]]である概念など[[射影幾何学]]の基本概念を確立し<ref>同時代人の[[ヨハネス・ケプラー|ケプラー]]も独自に、惑星の[[楕円軌道]]から無限遠点に到達している</ref>、射影幾何学の最初の[[定理]]である[[デザルグの定理]]を証明したことで有名である
 
しかし射影幾何学は[[非ユークリッド幾何学]]へと繋がる新たな概念であり、独創的な定理を新しい用語で表した彼の研究は、ほとんど他人から理解されなかった。
不運なことに彼の考えた幾何学は、独創的過ぎた上にその定理を新しい幾何学の言葉で表したため、ほとんどの人物の目に留まらなかった。有名な数学者であり[[哲学者]]、[[物理学者]]でもある[[ブレーズ・パスカル|パスカル]]が関心を示したが(彼もデザルグに触発されて射影幾何学の基礎を作ったと言われており、[[パスカルの定理]]を証明している)、彼は関心の対象をころころと変えたためこの幾何学の研究はしなくなり、この幾何学を研究するのはデザルグ一人になってしまった。デザルグとパスカルのこの研究はほとんど知られないままであり、その研究を馬鹿にする者もいた。優れた数学者であり[[解析幾何学]]を提唱し、デザルグの友人でもあった[[ルネ・デカルト]]が励ましたが、デザルグのこの幾何学は[[ガスパール・モンジュ]]によって再興されるおよそ150年間の間人々の関心を引かず、1661年にフランスで亡くなった。
交流のあった[[ブレーズ・パスカル|パスカル]]([[パスカルの定理]]はデザルグの円錐曲線に関する研究の基盤となっている)や、[[ルネ・デカルト|デカルト]]
([[解析幾何学]]を提唱した)は理解し励ましたが、結局、約150年後に[[ガスパール・モンジュ]]とその門下の[[ジャン=ヴィクトル・ポンスレ|ポンスレ]]によって再興されるまで、ほとんど忘れ去られてしまった。
 
== 名前 ==