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== 歴史 ==
[[ファイル:Leeuwenhoek Microscope.png|thumb|130px|right|[[アントニ・ファン・レーウェンフック]]の初期の顕微鏡の複製]]
最初の顕微鏡は[[1590年]]、[[オランダ]]の[[ミデルブルフ]]で[[眼鏡]]製造者[[サハリアス・ヤンセン]]と父のハンス・ヤンセンが作った<ref>[http://nobelprize.org/educational_games/physics/microscopes/timeline/index.html Microscopes: Time Line]</ref>。他に、同じ眼鏡製造者である[[ハンス・リッペルスハイ]]([[望遠鏡]]を[[世界初の一覧|最初]]に作ったといわれる)が顕微鏡も最初に作ったとする説もある。ただし、彼らがこれを使って何か意味のある[[観察]]をしたという[[記録]]はない。
 
[[ガリレオ・ガリレイ]]は、この顕微鏡を[[改良]][[昆虫]][[複眼]]を描いている。"microscope" という名称は、ガリレオの[[友人]]だった [[:en:Giovanni Faber|Giovanni Faber]] が[[1625年]][[命名]]したという<ref>Stephen Jay Gould(2000). The Lying Stones of Marrakech, ch.2 "The Sharp-Eyed Lynx, Outfoxed by ature". London: Jonathon Cape. ISBN 0224050443</ref>。ガリレオ自身は顕微鏡を "''occhiolino''"(小さな[[]])と呼んでいた。
 
最初に[[細胞]]の構造の詳細まで顕微鏡で観察しようとしたのは [[ジョヴァンニ・バティスタ・オディエルナ]]([[:en:Giambattista Odierna]]) で、[[1644年]]に ''L'ochio della mosca''(ハエの眼)を著している<ref>Bad Medicine: Doctors doing harm since Hippocrates. David Wootton. Oxford University Press, 2006.</ref>。
 
[[1660年代]]以前、[[イタリア]]、オランダ、[[イギリス]]では顕微鏡は単なる珍しい[[器具]]でしかなかった。イタリアの [[マルチェロ・マルピーギ]] は顕微鏡を使い、[[]]を手始めとして[[生物学]]的構造の[[分析]]を開始した。[[1665年]]、[[ロバート・フック]]が発刊した ''Micrographia''([[顕微鏡図譜]])は、その印象的な[[イラスト]]で大きな衝撃を与えた。顕微鏡による[[生物]][[研究]]に多大な[[進歩]]をもたらした[[アントニ・ファン・レーウェンフック]]は、[[微生物]](1674([[1674]])や[[精子]](1677([[1677]])を発見した<ref name="Wootton">see Wootton, David (2006) p. 119.</ref>。彼は生涯を顕微鏡の改良に費やし、最終的には約300倍の[[倍率]]の顕微鏡を作っている。ただし、これは単[[レンズ]]のものであり、顕微鏡そのものの改良につながってはいない。
 
== 種類 ==