「イーグル (空母・初代)」の版間の差分

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竣工直後の着艦装置は前後エレベータ間に鋼索縦張り式の[[アレスティング・ワイヤー|着艦制動装置]]を装備していたが、後にフランス空母「[[ベアルン (空母)|ベアルン]]」の使用実績を踏まえて1926年に撤去後、1933年に鋼索五本の横張り方式に改装した。甲板の下には二層式の[[ハンガー (航空)|格納庫]]が設けられていたが、搭載機数は「アーガス」と変わらない21機(最大24機)であった。仮就役時の島型艦橋の構成は楕円筒型の構造物の上に箱型の艦橋に一本煙突で後部に棒型のクレーンであったが、竣工後に艦橋は三脚檣型に、煙突はボイラーを石炭混焼缶から重油専焼缶にした事に伴い、二本煙突に、クレーンは複雑な形状大型クレーンに改められた。他に復元性向上のために[[バルジ]]が追加された。
 
元が低速な戦艦であったが、全長の長い船体形状で、飛行甲板長を長く取れたために後の航空機の発達に伴い滑走距離の増加も対応できた。(長く一線に留まっていられたのも当時のイギリス海軍の[[艦載機]]の主流が[[複葉機]]だった事にも一因している
 
;搭載機変遷
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イーグルは1941年4月9日に駆逐艦[[エンカウンター (駆逐艦)|エンカウンター]]と[[デコイ (駆逐艦)|デコイ]]に護衛されてアレクサンドリアを出港し、4月10日に護衛の駆逐艦と分かれて[[スエズ運河]]に入った。同日、イーグルは[[グレートビター湖]]に入った。運河内にはドイツ軍の機雷によって沈んだ船があり、強風のためその場所の通過が不可能であったためイーグルは4月15日まで湖に留まることになった。4月15日にイーグルは無事障害物の場所を通過し、[[ポートスエズ]]に到着した。そこで給油を受け、翌日イーグルはポートサイドを出港、単独で南へ向かい4月18日に[[ポートスーダン]]沖に着いた。翌日イーグルは出航し、ポートサイドに展開していた搭載機のソードフィッシュを収容後さらに南へ向かい、4月21日に[[アデン]]に着いた。同日イーグルは重巡洋艦[[コーンウォール (重巡洋艦)|コーンウォール]]と共にアデンを離れ、2隻は4月26日に[[モンバサ]]に到着した。
 
1942年8月の[[ペデスタル作戦]]にも参加し、同月11日に[[アルジェ]]北方沖で[[マルタ島]]への[[護送船団|輸送船団護衛]]任務中にドイツ海軍潜水艦「U-73」潜水艦の雷撃4本中3本を左舷機関区に受け、8分後に沈没した。
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