「シラノ・ド・ベルジュラック」の版間の差分

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生涯の友アンリ・ル・ブレ(Henri Le Bret)と共に、カルボン・ドゥ・カステルジャルー(Carbon de Casteljaloux)隊長指揮の[[ガスコーニュ]]の青年隊に入隊した。しかし出世には至らず、[[1640年]]、[[三十年戦争]]の[[アラス]]の攻囲戦で重傷を負い、翌年軍隊を去ってパリに戻り、回復後さらに剣術を習った。百人を相手にして2人を殺し7人を傷つけた武勇伝が、ル・ブレの書翰をもとに伝わっている。
 
また、科学、哲学を研究し、[[ルネ・デカルト|デカルト]]の論敵の自由思想家、[[ピエール・ガッサンディ]]やラ・モト・ル・バイエ([[:fr:François de La Mothe Le Vayer]])に学んだと言われる。また、[[ポール・スカロン([[:fr:Paul Scarron|Paul Scarron]]、シャペル([[:fr:Claude-Emmanuel Lhuillier, dit Chapelle]])、[[モリエール]]など自由思想的文人とも交わって、唯物論的な文筆生活を送った。
 
このころから、[[1653年]]まで、彼は年長の諧謔詩人シャルル・コアポー([[:fr:Charles Coypeau d'Assoucy]])と[[同性愛]]の関係を結び、その間の通信文が伝えられている。