「イシス」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
WP:MV「改名の前に本文先頭の主語を書き換えてはいけません。」により「イスィス」→「イシス」に全置換, 体裁
5行目:
[[ファイル:Ägyptischer Maler um 1360 v. Chr. 001.jpg|thumb|right|女神イシス(紀元前1360年頃の壁画)]]
[[ファイル:Priestess of isis.jpg|thumb|right|イシスの女司祭(2世紀ローマの立像)]]
'''イスィス'''(Isis) (Isis) は、[[エジプト神話]]の[[女神]]。イスィスは[[ギリシア]]語であり、古代[[エジプト]]では'''アセト'''と呼ばれた。[[ヘリオポリス]]神話では[[ゲブ]]と[[ヌト]]の子供で、[[オシリス]]の妹であり妻、[[セト]]、[[ネフティス]]の姉でもあり九柱神の一角を担う(セトの妹とされることもある)。また[[ホルス]]の母。別の神話によると[[ラー]]の娘。[[ヌビア]]の[[フィラエ神殿|フィラエ島]]や[[ナイル川|ナイル]]河畔の[[サイス]]に大規模な神殿があったことで知られる。外見は[[トビ]]あるいは背中にトビの翼を持った女性として表される。また、後に[[ハトホル]]女神に代わって信仰を集めるようになると、頭部にハトホル女神から受け継いだ牛の角と太陽円盤を持った女性としても表されるようになる。名前は[[玉座]]の象徴とされていた。セトに殺されバラバラにされたオシリスの遺体を集めて(ただし男根は見つからなかった)繋ぎ合わせて復活させるなど、生と死を操る強大な魔力を持つ
 
== 概要 ==
イスィス信仰は、エジプトで[[ムト|ムウト]]女神や[[ハトホル]]女神に代わって信仰を集め、紀元前1千年紀に地中海沿岸全域に広がり、[[共和政ローマ|共和政]]末期に[[ローマ]]へ持ち込まれて発展し、200年頃にはほぼ[[ローマ帝国]]全域で崇拝された。イスィスは永遠の処女であり、オシリスの死後、処女のまま神(ホルス)を身ごもったとされ、「天上の聖母」「星の母」「海の母」などさまざまな二つ名を持った。しかし、信者が基本的に女性に限られたことや、信者の女性が一定期間の純潔を守ることを教義としたため、男性からの評判が悪く、衰退していった。やがてキリスト教の隆盛とともに、[[聖母マリア|マリア]]信仰に取って代わられた。「ホルスに乳を与えるイスィス女神」像などが、[[イエス・キリスト|イエス]]の母・[[聖母マリア|マリア]]への信仰の元になったといわれる。エジプトに[[コプト正教会|コプト派]]キリスト教が広まると、イスィス神殿は聖母マリアを祀る教会として使用された。イスィス信仰は7世紀まで続き、果ては[[ブリテン島]]にまでも広がった。
[[ヌビア]]の[[フィラエ神殿|フィラエ島]]や[[ナイル川|ナイル]]河畔の[[サイス]]に大規模な神殿があったことで知られる。外見は[[トビ]]あるいは背中にトビの翼を持った女性として表される。後に[[ハトホル]]女神に代わって信仰を集めるようになると、頭部にハトホル女神から受け継いだ牛の角と太陽円盤を持った女性としても表されるようになる。名前は[[玉座]]の象徴とされていた。セトに殺されバラバラにされたオシリスの遺体を集めて(ただし男根は見つからなかった)繋ぎ合わせて復活させるなど、生と死を操る強大な魔力を持つ。
 
スィス信仰は、エジプトで[[ムト|ムウト]]女神や[[ハトホル]]女神に代わって信仰を集め、紀元前1千年紀に地中海沿岸全域に広がり、[[共和政ローマ|共和政]]末期に[[ローマ]]へ持ち込まれて発展し、200年頃にはほぼ[[ローマ帝国]]全域で崇拝された。イスィスは永遠の処女であり、オシリスの死後、処女のまま神(ホルス)を身ごもったとされ、「天上の聖母」「星の母」「海の母」などさまざまな二つ名を持った。しかし、信者が基本的に女性に限られたことや、信者の女性が一定期間の純潔を守ることを教義としたため、男性からの評判が悪く、衰退していった。やがてキリスト教の隆盛とともに、[[聖母マリア|マリア]]信仰に取って代わられた。「ホルスに乳を与えるイスィス女神」像などが、[[イエス・キリスト|イエス]]の母・[[聖母マリア|マリア]]への信仰の元になったといわれる。エジプトに[[コプト正教会|コプト派]]キリスト教が広まると、イスィス神殿は聖母マリアを祀る教会として使用された。イスィス信仰は7世紀まで続き、果ては[[ブリテン島]]にまでも広がった。
サイスのイスィス神殿の銘文「わが面布を掲ぐる者は語るべからざるものを見るべし」は真理の性格をあらわすものとして、ヨーロッパで好んで引用された。[[ノヴァーリス]]の『ザイスの弟子たち』はイスィス神殿の学生たちを登場人物としたものである。
 
サイスのイスィス神殿の銘文「わが面布を掲ぐる者は語るべからざるものを見るべし」は真理の性格をあらわすものとして、ヨーロッパで好んで引用された。[[ノヴァーリス]]の『ザイスの弟子たち』はイスィス神殿の学生たちを登場人物としたものである。
オシリス神話により献身的な母や妻としての印象が強いが、他の神話的物語では強力な[[魔術師]]的存在として描かれ、その魔力を用いて父ラーから支配権を強引に奪い取ったという神話も残っている。そのため中世ヨーロッパではイスィスは[[魔女]]の元祖とされることもある。
 
オシリス神話により献身的な母や妻としての印象が強いが、他の神話的物語では強力な[[魔術師]]的存在として描かれ、その魔力を用いて父ラーから支配権を強引に奪い取ったという神話も残っている。そのため中世ヨーロッパではイスィスは[[魔女]]の元祖とされることもある。
 
== 参考文献 ==
22 ⟶ 25行目:
*[[ソプデト]] - [[シリウス]]の女神でイシスの化身とされる
*[[黒い聖母]]
 
 
{{エジプト神話}}