「ポール・サミュエルソン」の版間の差分

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== 政策 ==
*サミュエルソンは『経済学』の第3版で、[[不況]]時に[[公共投資]]を実施することによる有効性を指摘し、総需要政策で景気の過熱や過度の後退を避けることで、前進的成長を維持できるとし、新古典派経済学([[市場万能論]])とケインズの唱えたマクロ経済学を融合を図る新古典派総合を提唱した。この理論は、[[1960年代]]の[[民主党 (アメリカ)|民主党]]政権に多大な影響力を与え、サミュエルソンは[[ジョン・F・ケネディ]]や[[リンドン・ジョンソン]]の大統領顧問を務めた。
 
== ノーベル経済学賞受賞について ==
* [[1969年]]に[[ノーベル経済学賞]]が設立されたのは、ポール・サミュエルソンに[[ノーベル賞]]を与えるためと言われることもある<ref>日本経済新聞社編著 『現代経済学の巨人たち-20世紀の人・時代・思想』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、58頁。</ref>。経済学者の[[佐和隆光]]は、サミュエルソンのノーベル経済学賞受賞の理由について「一般的な理由でノーベル賞を受けた人は、後にも先にもサミュエルソンのみであり、それだけサミュエルソンの近代経済学への貢献が大きかった」と述べている<ref name="keizaigakunokyojin5859">日本経済新聞社編著 『現代経済学の巨人たち-20世紀の人・時代・思想』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、58-59頁。</ref>。佐和は「二十世紀後半の経済学は善悪はともかく、サミュエルソンの描いたシナリオ通りに展開してきた。だから経済学のノーベル賞も成り立ち得たし、サミュエルソンがノーベル経済学賞の栄誉に輝いたのも故無しとはしない」と述べている<ref name="keizaigakunokyojin5859" />。
 
サミュエルソンは「人生には無上の喜びといえるものは無いが、この賞はそんな喜びを私に与えてくれた」「この名誉は嬉しい驚きであり、早く訪れた。私の家族はストックホルムでのお祭り騒ぎを楽しんだ」と述べている<ref>ウィリアム・ブレイト、ロジャー・W. スペンサー編著 『経済学を変えた七人―栄光のノーベル経済学賞受賞者』 勁草書房、1988年、121-122頁。</ref>。
 
== 批判 ==
*[[1970年代]]の[[スタグフレーション]](不況下のインフレ)に、サミュエルソンは有効な対策を提唱できず、[[マネタリスト]]の[[ミルトン・フリードマン]]、[[合理的期待形成|合理的期待形成学派]]の[[ロバート・ルーカス (経済学者)|ロバート・ルーカス]]、成長論の[[ロバート・ソロー]]、「赤字財政の政治経済学」の著者[[ジェームズ・M・ブキャナン|ジェームズ・ブキャナン]]、ポストケインジアンの[[ジョーン・ロビンソン]]等、様々な立場から批判を浴び、急速にその影響力を喪失させることとなった。
 
== 逸話 ==
* [[1969年]]に[[ノーベル経済学賞]]が設立されたのは、ポール・サミュエルソンに[[ノーベル賞]]を与えるためと言われることもある<ref>日本経済新聞社編著 『現代経済学の巨人たち-20世紀の人・時代・思想』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、58頁。</ref>。経済学者の[[佐和隆光]]は、サミュエルソンのノーベル経済学賞受賞の理由について「一般的な理由でノーベル賞を受けた人は、後にも先にもサミュエルソンのみであり、それだけサミュエルソンの近代経済学への貢献が大きかった」と述べている<ref name="keizaigakunokyojin5859">日本経済新聞社編著 『現代経済学の巨人たち-20世紀の人・時代・思想』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、58-59頁。</ref>。佐和は「二十世紀後半の経済学は善悪はともかく、サミュエルソンの描いたシナリオ通りに展開してきた。だから経済学のノーベル賞も成り立ち得たし、サミュエルソンがノーベル経済学賞の栄誉に輝いたのも故無しとはしない」と述べている<ref name="keizaigakunokyojin5859" />。
*ハーバード大学の博士試験で、試験終了後試験官の[[ワシリー・レオンチェフ]]に[[ヨーゼフ・シュンペーター]]が「我々が彼から合格点をもらえただろうか」といったという<ref>有名な小話ではあるが、真偽ははっきりしない。</ref><ref>「私の履歴書 フィリップ・コトラー④」日本経済新聞2013年12月4日</ref>。
*シュンペーターは、サミュエルソンの講義を聴いて数学を勉強したという。
*ノーベル賞を受賞した翌年の[[1971年]]に来日。日本の経済について「今世紀中に2位のソ連を追い越し、30年後には世界一になるだろう」と予測した。<ref>"やっぱり強い日本の経済 三十年後は世界一に サミュエルソン氏主張"『朝日新聞』1971年11月8日</ref>。
 
== 批判 ==
*[[1970年代]]の[[スタグフレーション]](不況下のインフレ)に、サミュエルソンは有効な対策を提唱できず、[[マネタリスト]]の[[ミルトン・フリードマン]]、[[合理的期待形成|合理的期待形成学派]]の[[ロバート・ルーカス (経済学者)|ロバート・ルーカス]]、成長論の[[ロバート・ソロー]]、「赤字財政の政治経済学」の著者[[ジェームズ・M・ブキャナン|ジェームズ・ブキャナン]]、ポストケインジアンの[[ジョーン・ロビンソン]]等、様々な立場から批判を浴び、急速にその影響力を喪失させることとなった。
 
== 著作(日本語訳) ==