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===第7、第8の哨戒 1944年3月 - 11月===
3月3日、スキャンプは7回目の哨戒で[[ニューギニア]]{{要曖昧さ回避|date=2014年9月7日}}、ビスマルク諸島を経てパラオ方面に向かった。しかし、{{仮リンク|魚雷発射指揮装置|label=TDC (兵器)|en|Torpedo Data Computer|label=TDC}}が故障したため、その修理のため3月29日に{{仮リンク|ランゲマク湾|en|Langemak Bay}}に入って3日かけて修理を行い、修理後再出撃した<ref>[[#SS-277, USS SCAMP]] pp.161-163</ref>。4月4日に{{coor dm|02|52|N|129|45|E|}}の地点で200トンクラスの[[トロール船]]を発見して浮上砲戦で炎上させたが、備砲が故障したため撃沈には至らなかった<ref>[[#SS-277, USS SCAMP]] p.164,178</ref>。このころ、司令部から「ダバオから日本艦隊が出撃してくる」という情報がもたらされた。察知された日本艦隊とは、[[第58任務部隊]]([[マーク・ミッチャー]]中将)の攻撃を避けるべく、トラックからパラオ、さらに燃料を求めて[[リンガ泊地]]に向かっていた、[[栗田健男]]中将率いる[[第二艦隊 (日本海軍)|第二艦隊]]の一部であった。スキャンプは日本艦隊を捕まえるべく{{仮リンク|ダバオ湾|en|Davao Gulf}}に向かった。3日後の4月7日、スキャンプはダバオ湾北口でついに日本艦隊を発見した。前日6日には[[ダーター (SS-227)|ダーター]] (''USS Darter, SS-227'') と[[デイス (潜水艦)|デイス]] (''USS Dace, SS-247'') が日本艦隊を発見し、奇しくもこれより半年の後に再び栗田中将とあいまみえる2隻のうちデイスが雷撃を行ったが、艦隊は22ノットの高速で航行中だったため命中しなかった<ref>[[#SS-247, USS DACE, Part 1]] pp.106-108, p.131, pp.137-138</ref>。スキャンプは潜航して艦隊に忍び寄ったが、駆逐9<!--></ref><-->。衝撃で動力が絶たれ、火災も発生し毒性の煙が充満してきた<ref>[[#SS-277, USS SCAMP]] pp.210-216</ref>。スキャンプは釣り合いをうまく保つために水中で何度も上下し、深度46メートルになったところでようやく釣り合いを回復した<ref>[[#SS-277, USS SCAMP]] pp.167-169</ref>。スキャンプは油と気泡を放出して17度の角度で21時3分に浮上し<ref>[[#SS-277, USS SCAMP]] p.170</ref>、損傷のため哨戒を打ち切って帰投することとなった。スキャンプの護衛にデイスが差し向けられ、4月10日に会合した<ref>[[#SS-277, USS SCAMP]] p.171</ref>。スキャンプはデイスの護衛の下、4月16日にマヌス島[[ゼーアドラー湾]]に到着し<ref>[[#SS-277, USS SCAMP]] p.172</ref>、緊急修理を受けた。4月22日、スキャンプは51日間の行動を終えてミルン湾に帰投<ref>[[#SS-277, USS SCAMP]] p.174</ref>。その後、[[オーバーホール]]を行った。オーバーホール後の9月22日、スキャンプは駆逐艦{{仮リンク|チュー (駆逐艦)|en|USS Chew (DD-106)|label=チュー}} (''USS Chew, DD-106'') と衝突する事故を起こした<ref>[[#SS-277, USS SCAMP]] pp.217-222</ref>。
 
10月16日、修理なったスキャンプは8回目の哨戒で[[小笠原諸島]]方面に向かった。10月20日にミッドウェー島で燃料を補給し、その後担当海域に到着。11月9日に[[硫黄島 (東京都)|硫黄島]]周辺を航行中に哨戒区域の変更命令を受け取り、スキャンプはこれに対して自艦の位置が「{{coor dm|28|44|N|141|44|E|}}にあり、魚雷24本と290,000リットルの燃料がある」と返信した<ref>[[#SS-277, USS SCAMP]] p.223</ref>。11月14日、司令部から{{coor dm|35|27|N|141|35|E|}}の位置にあったスキャンプに対して、[[房総半島]]沖で[[日本本土空襲|本土空襲]]の下準備で何度も日本を偵察していた[[B-29 (航空機)|B-29]]の乗組員救助支援任務に当たるよう命令が下されたが、応答はなかった<ref>[[#SS-277, USS SCAMP]] pp.223-224</ref>。その後もスキャンプからの通信は無く、司令部から何度も隣り合う区域の潜水艦などに対しスキャンプの安否を問う通信が送信されたが、芳しい返事はなかった<ref name="j">[[#エンライト]] pp.227-228</ref>。11月29日に空母[[信濃 (空母)|信濃]]を撃沈する[[アーチャーフィッシュ (潜水艦)|アーチャーフィッシュ]] (''USS Archer-fish, SS-311'') はスキャンプの担当海域の西隣が担当海域だったが、「スキャンプとは会合および交信せず」と、やはり芳しくない返事を送らざるを得なかった<ref name="j"/>。11月26日まで捜索は続けられたが、ついに打ち切られた。ホリングスワース艦長以下全乗員が死亡と判定され、スキャンプは1945年4月28日に除籍された。