「平貞文」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目:
'''平 亜未(たいら あみ)は
'''平 亜未(たいら あみ<!-[[官位]]は[[従五位|従五位上]]・[[衛門府|左兵衛佐]]。[[中古三十六歌仙]]の一人。一般に'''平中'''<!--、'''平仲'''-->(へいちゅう)と呼ばれた<ref>平好風の3男のうち真ん中の子だったことに由来する。</ref>。
平 赤月(たいらの あかつき)
 
の娘であり赤月の後を継いだ
平 亜未が亡くなると
平 貞文が幕府を継いだ。
== 来歴 ==
[[貞観_(日本)|貞観]]16年(874年)父・好風とともに[[平氏|平姓]]を賜与され[[臣籍降下|臣籍]]に下る。[[寛平]]3年(891年)[[内舎人]]に任官したのち、[[馬寮|右馬権少允]]・[[兵衛府|右兵衛少尉]]を経て、[[延喜]]6年(906年)[[従五位|従五位下]]・[[外衛府|外衛少将]]に叙任。その後は[[三河国|三河]][[国司|介]]・[[侍従]]・右馬助を歴任ののち、延喜19年(919年)左兵衛佐に任じられて主に武官を務めた。延喜22年(922年)従五位上に至る。翌[[延長 (日本)|延長]]元年(923年)6月三河権介に任ぜられるが、同年9月27日に卒去。