「ドック・リバース」の版間の差分

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[[1999年]]、リバースの監督としてのキャリアは[[オーランド・マジック]]で始まった。最初の年の好成績を受けて[[2000年]]の[[NBA最優秀コーチ賞]]を受賞する。その後3シーズンをオーランドのヘッドコーチとして過ごしたが、[[2003年]]、シーズン序盤のチームの低迷の責任を取る形で解任された。
====[[ボストン・セルティックス]]====
NBAのコメンテーターを務めた後、[[2004年]]から[[ボストン・セルティックス]]にヘッドコーチとして招聘された。[[2008年]]、セルティックスはエースの[[ポール・ピアース]]に[[ケビン・ガーネット]]、[[レイ・アレン]]を加えて強力なビッグスリーを結成し、チームは大躍進を遂げる。シーズンを終わってみれば66勝16敗の好成績で勝率.805はチーム歴代最高勝率となり、ファイナルでは宿敵[[ロサンゼルス・レイカーズ]]を下し、リバースはヘッドコーチとして初めてNBAチャンピオンとなった<ref>[http://www.boston.com/sports/basketball/celtics/articles/2008/06/18/ring_it_up/?page=full Ring it up Celtics crush Lakers for 17th title--Boston.com]</ref>。また、黒人ヘッドコーチとしては、同じくセルティックスを率いていた[[K ・C・ジョーンズ]]以来22年ぶりの優勝コーチとなった。
====[[ロサンゼルス・クリッパーズ]]====
[[2013年]]、ドラフト指名権とのトレードで[[ロサンゼルス・クリッパーズ]]に移籍<ref>[http://www.nba.com/clippers/news/rivers-headed-la Rivers head coach to L.A.-- NBA.com/Clippers]</ref>、ヘッドコーチ、球団副社長に就任した。レギュラーシーズンを57勝のフランチャイズ記録で乗り切り、第3シードでプレーオフに進み、1stラウンドを4勝3敗で[[ゴールデンステート・ウォリアーズ]]を倒し、[[オクラホマシティ・サンダー]]とのカンファレンスセミファイナルへと駒を進めた。第5戦で逆転負けを決定づける判定に関わり、審判を批判するコメントを発表し、リーグから25000ドルの制裁金を課された。