「西ドイツ」の版間の差分

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=== 国内政治 ===
西ドイツの政治は、小政党が乱立し結果として[[ファシズム]]の台頭を招いた[[ヴァイマル共和政]]期の反省から、一定の得票率(5%)を議席獲得の条件とする(「[[阻止条項]]」)、[[議会制民主主義]]を否定する政党の結党を禁止する(「[[戦う民主主義]]」)などの措置を講じていたため非常に安定した。議会では[[キリスト教民主主義]]の元に右派諸勢力が結集した[[ドイツキリスト教民主同盟|キリスト教民主同盟]](CDU)と19世紀以来の左派政党[[ドイツ社会民主党]](SPD)の二大政党が左右に並んでいた。
 
建国後、西ドイツ再建と社会福祉の充実を指揮した[[コンラート・アデナウアー|アデナウアー]]政権([[1949年]] - [[1963年]])のあと、短い[[ルートヴィヒ・エアハルト|エアハルト]]政権([[1963年]] - [[1966年]])と[[クルト・ゲオルク・キージンガー|キージンガー]]政権([[1966年]] - [[1969年]])が続いた。