「アショーカ王碑文」の版間の差分

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岩→摩崖
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'''アショーカ王碑文'''(アショーカおうひぶん、[[プラークリット]]: {{unicode|dhaṃma-lipī}})とは、[[紀元前3世紀]]に[[アショーカ王]]が[[石柱]]や摩崖(などに刻ませた詔勅である。アショーカ王の'''法勅'''(ほうちょく)とも呼ぶ。現在の[[インド]]・[[ネパール]]・[[パキスタン]]・[[アフガニスタン]]に残る。
 
[[インダス文字]]を別にすれば、アショーカ王の法勅はインドに現存する文字資料のうちほぼ最古のものであり<ref>ただし Salomon (2003) 3.1.1 によると、スリランカの[[アヌラーダプラ]]の陶片は紀元前4世紀のもので、アショーカ王碑文より古いという</ref>、言語学的・歴史的・宗教的な価値がきわめて大きい。
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== 現存する碑文 ==
[[Image:EdictsOfAshoka.jpg|thumb|碑文の分布]]
法勅には大別して石柱に刻まれているものと岩に刻まれているもの摩崖碑文がある。
 
=== 摩崖 ===
岩に記された法勅摩崖碑文現地で刻まれたもので、全14条からなる大法勅と、1条または2条からなる小法勅があり、両者は内容が異なる。小法勅のほうが先に作られた<ref>Salomon (1998) p.136</ref>。
 
多くは[[ブラーフミー文字]]で書かれており、言語は東部[[プラークリット]](古マガダ語)であるが、西部・北西部のものは言語が異なっている。
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カリンガのあった[[オリッサ州]]の2箇所に置かれた碑文には11条から13条までがなく、かわりに別の2条が加えられている。
 
小法勅は17か所に残っており、広い地域に分布する。とくに[[カルナータカ州]]に多く残る。バイラートで発見された摩崖碑文([[ベンガル・アジア協会]]蔵)は他の小法勅と文が異なり僧団に直接あてたもので、自分が[[三宝]]に深く帰依していることを述べ、[[仏陀]]が語った7つの教え({{unicode|dhamma-paliyāyani}})の名前をあげている。
 
=== 洞窟 ===
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=== 石柱 ===
石柱は摩崖よりも時代が新しい。[[ワーラーナシー|バラナシ]]近郊にあるチュナールの採石場で造られ<ref>{{cite web
|title=Pillar of Emperor Ashoka
|publisher=The British Museum