「龍造寺長信」の版間の差分

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'''龍造寺 長信'''(りゅうぞうじ ながのぶ、[[天文 (元号)|天文]]87年([[15391538年]])? - [[慶長]]818[[10月26日 (旧暦)|10月26日]]([[16031613年]]))[[12月7日]])<ref>細川章『佐嘉藩多久領古文書に見る地域の人々』</ref>)は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から[[安土桃山時代]]にかけての[[武将]]。[[龍造寺周家]]の三男で、[[龍造寺隆信]]の末弟(母は慶)。妻は[[小田政光]]の娘。子に[[多久安順]]、女子([[後藤家忠]]室)。和泉守。
 
[[1558年]]、[[龍造寺氏]]が調略により小田政光を滅ぼした際に、[[小田氏]]の居城であった[[蓮池城]]を接収したが、後に政光の遺児の[[小田鎮光]]を赦免し城主とした。龍造寺氏は[[1559年]]に[[少弐冬尚]]を滅ぼし、[[少弐氏]]を滅亡に追い込んだが、冬尚の弟の[[少弐政興]]は再興をめざし反乱を起こす。[[1563年]]には龍造寺氏は政興に協調した[[多久宗利]]を下し、[[多久氏]](前多久氏)の居城であった[[梶峰城]]を奪い、長信が城主となった。
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嫡男で初代多久領主の安順は、[[後多久氏]]の祖となる。
 
== 脚注 ==
<references/>
 
{{DEFAULTSORT:りゆうそうし なかのふ}}
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[[category:戦国武将]]
[[Category:龍造寺氏|なかのふ]]
[[Category:15391538年生]]
[[Category:16031613年没]]
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