「福島城」の版間の差分

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現在の福島城跡一帯には[[福島県庁]]をはじめ公共機関や民間ビルが立ち並んでおり、庭園跡である紅葉山公園や県庁南に残存している[[土塁]]の一部が残。各所に掘跡の一部も残されている。
 
現在の[[住居表示]]では、[[杉妻町]]全域舟場町の各大半。荒町、中町、大町、上町の各一部が該当する。
 
== 歴史 ==
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* 内曲輪([[門]]):大手門、北門、東門(西から時計回りに表記)
* 外曲輪([[見付|見附]]):密語橋口、西門口、馬場町口、大手口(南西から時計回りに表記)
 
=== 大手門 ===
福島城大手門(おおてもん)とは、福島城北側の内曲輪に存在した正門のことである。二階門型の櫓門造り。門櫓の上に[[シャチ]]を載せていた、立派な造りの門であったとされている。しかし[[明治]]の頃には既に保存状態が芳しくなかったこともあり、[[1873年]]の陸軍鎮台分営の設置時に破却された。別名「[[追手門]]」とも呼ばれていた。福島市立ふくしま南幼稚園横の[[福島県道148号水原福島線]]([[県庁通り (福島市)|県庁通り]])上に存在していた。
 
大手門前から北方の[[信夫山]]に直進する通りを長らく「大門通り」と呼ばれた。現在の[[県庁通り (福島市)|県庁通り]]を差し、「県庁通り」と呼ばれ始めたのはここ近年の話である。
 
=== 大手口 ===
福島城大手口(おおてぐち)とは、福島城北側の外曲輪に存在した正面口のことである。現在の福島警察署前交差点のほぼ中央に位置していた。
 
福島市にある「大町」及び「上町」その町名の由来は「大手口」が大きく関係している。「大町」及び「上町」の町名は共に「福島城の正面口(大手口)に接していた町」と同じ意味を持つ。福島城下7町の中でも旧来の上町(=現在の大町・上町)は圧倒的1番の面積を有していた。その面積の広さから明治に入り町の中心を縦断する大門通り(=現在の県庁通り)で東西2町に分割され、「大町」「上町」が形成された。江戸時代の名残で例大祭の[[山車]]は大町上町共通で1台を保有している。
* 「上町」とは城主([[お上|御上]])が居住する福島城に最も近い町(=「御'''上'''の'''町'''」)城正面の大手口に接した場所を意味する。上町の町名は江戸時代以前から存在する古い町名である。旧来の上町を大門通りで東西で2分割する際、上町の町名をそのまま継承し現在の「上町」が形成された。
* 「大町」とは「'''大'''手口前の'''町'''」という意味で命名された。明治に生まれた町名で旧来の上町を大門通りで東西で2分割する際、西半分を「大町」として独立させた。
 
=== 密語橋口・密語橋 ===
福島城密語橋口(ささやきばしぐち)とは、福島城南側の外曲輪に存在した出入口のことで見附番所が置かれていた。現在の杉妻会館横の福島市道中町・柳町線(密語橋通り)上に存在していた。江戸時代、密語橋口の両詰には密語橋通り沿いに武家屋敷が立ち並んでいた。
 
密語橋口に架けられていた「密語橋(ささやきばし)」は江戸時代未明に[[信夫郡]]南西部の立派な[[スギ|杉]]の大樹が使われた木橋でだったとされ、福島の[[民話]]「王老杉伝説(おろすぎでんせつ)」で舞台になった架橋である。王老杉伝説に登場する大杉には体も立派で顔立ちも凛々しい男性の姿をした精が登場し女子を惹きつけていたと伝えられている。そのことから密語橋を渡った人には美男のご利益、縁結びのご利益があると言われている。
 
現在外曲輪の外堀跡には石畳が荒町から杉妻町にかけて敷き詰められている(裏路地に外堀跡が一部現存する)。[[近代]]に架けられていたとされる石橋の密語橋を模した橋が杉妻会館庭園内に残る。
 
== 史跡 ==
* [[紅葉山公園 (福島市)|紅葉山公園]] - 福島城内にあった庭園の跡である。内堀土塁の一部が残る。
* 福島城内堀土塁跡 - 福島県庁西庁舎の南側、福島第一小学校の校庭、共に内堀土塁が残る。
* 密語橋、福島城外堀跡 - 杉妻会館庭園内に密語橋を移築したもの石橋が残る。密語橋口として福島城の[[見付|見附]](見張り番)の役割を果たした。外堀跡に、石畳が杉妻町から荒町にかけて敷き詰められている。
 
== 遺物 ==
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== 曲輪 ==
福島城の[[総構え]]に存在した門や出入口を紹介
=== 大手門 ===
福島城大手門とは、福島城北側の内曲輪に存在した正門のことである。二階門型の櫓門造り。門櫓の上に[[シャチ]]を載せていた、立派な造りの門であったとされている。しかし[[明治]]の頃には既に保存状態が芳しくなかったこともあり、[[1873年]]の陸軍鎮台分営の設置時に破却された。別名「[[追手門]]」とも呼ばれていた。福島市立ふくしま南幼稚園横の[[福島県道148号水原福島線]]([[県庁通り (福島市)|県庁通り]])上に存在していた。
 
大手門前から北方の[[信夫山]]に直進する通りを長らく「大門通り」と呼ばれた。現在の[[県庁通り (福島市)|県庁通り]]を差し、「県庁通り」と呼ばれ始めたのはここ近年の話である。
 
=== 大手口 ===
福島城大手口とは、福島城北側の外曲輪に存在した正面口のことである。現在の福島警察署前交差点のほぼ中央に位置していた。
 
福島市にある「大町」及び「上町」その町名の由来は「大手口」が大きく関係している。「大町」及び「上町」の町名は共に「福島城の正面口(大手口)に接していた町」と同じ意味を持つ。福島城下7町の中でも旧来の上町(=現在の大町・上町)は圧倒的1番の面積を有していた。その面積の広さから明治に入り町の中心を縦断する大門通り(=現在の県庁通り)で東西2町に分割され、「大町」「上町」が形成された。江戸時代の名残で例大祭の[[山車]]は大町上町共通で1台を保有している。
* 「上町」とは城主([[お上|御上]])が居住する福島城に最も近い町(=「御'''上'''の'''町'''」)城正面の大手口に接した場所を意味する。上町の町名は江戸時代以前から存在する古い町名である。旧来の上町を大門通りで東西で2分割する際、上町の町名をそのまま継承し現在の「上町」が形成された。
* 「大町」とは「'''大'''手口前の'''町'''」という意味で命名された。明治に生まれた町名で旧来の上町を大門通りで東西で2分割する際、西半分を「大町」として独立させた。
 
== 関連項目 ==