「ヨーゼフ・シュンペーター」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Dexbot (会話 | 投稿記録)
m Removing Link FA template (handled by wikidata)
文章整理、スタイル調整、リンク先修正、Infobox内整理、{{cleanup}}取る
1行目:
{{出典の明記|date=2010年9月}}
{{Cleanup|date=2010年9月}}
{{Infobox economist
| name = ヨーゼフ・シュンペーター
| school_tradition = [[歴史学派]]
| color = goldenrod
| image_name = Joseph Schumpeter ekonomialaria.jpg
| image_size = 150px200px
| image_caption =
| birth_date = {{Birth date|1883|2|8|df=y}}<br />{{AUT1867}} [[オースリア=ハンガリー帝国]] (今の[[ジェシュェコ]],Třešť ),[[モラヴィア]],|トリーシュ]]
| death_date = {{Death date and age|1950|1|8|1883|2|8|df=y}}<br />{{USA}} [[アメリコネティ合衆国ット州]],[[ソールズベリー (コネティカット州]],)|タコニック]]
| nationality =
| institution = [[ハーバードツェルノヴィッツ大学]] 1932–50(1909-1911)<br />[[ボングラーツ大学]] 1925–32(1912-1914)<br />ビーダーマン銀行 1921–24(1921-1924)<br />[[イン・フリドリヒ・ヴィルヘルム大学ボン|ボン大学]] 1912–14(1925-1932)<br />ツェルノヴィッツ[[ハーバード大学]] 1909(1932-111950)
| field = [[経済学]]
| alma_mater = [[ウィーン大学]]
| influences = [[オイゲン・フォン・ベーム=バヴェルク]]、[[レオン・ワルラス]]
| influences = [[アレクシ・ド・トクヴィル]], [[カール・マルクス]], [[ハーバート・スペンサー]], [[カール・メンガー]], [[オイゲン・フォン・ベーム=バヴェルク]], [[フリードリヒ・フォン・ヴィーザー]], [[グスタフ・フォン・シュモラー]], [[マックス・ウェーバー]], [[ヴェルナー・ゾンバルト]], [[エミール・デュルケーム]], [[レオン・ワルラス]], [[ヴィルフレド・パレート]], [[クレマン・ジュグラー]], [[ニコライ・コンドラチェフ]], [[クヌート・ウィクセル]]
| opposed = [[カール・マルクス]], [[ジョン・メイナード・ケインズ]]
| influenced = [[ポール・サミュエルソン]]、[[フレデリック・シェラー]]
| influenced = {{仮リンク|クリストファー・フリーマン|en|Christopher Freeman}}, [[ピーター・ドラッカー]], [[ロバート・ダール]], [[イスラエル・カーズナー]], [[ジョン・ヒックス]], [[ミルトン・フリードマン]], [[デイヴィッド・ロックフェラー]], [[アラン・グリーンスパン]], [[ポール・サミュエルソン]], [[ロバート・ソロー]], [[ジェームズ・トービン]], {{仮リンク|ジョン・バー・ウィリアムス|en|John Burr Williams}}, {{仮リンク|エイブラム・バーグソン|en|Abram Bergson}}, {{仮リンク|ニコラス・ジョージェスク=レーゲン|en|Nicholas Georgescu-Roegen}}, {{仮リンク|ロバート・ハイルブロナー|en|Robert Heilbroner}}, [[サミュエル・P・ハンティントン|サミュエル・ハンティントン]], [[ポール・ローマー]], [[イマニュエル・ウォーラースタイン]], [[ポール・スウィージー]]
| contributions = 企業家の行う不断の[[イノベーション]](革新)が経済を変動させるという理論を構築<br />[[景気循環]]<br />[[経済発展]]<br />{{仮リンク|企業家精神|en|Entrepreneurship}}<br />[[進化経済学]]
| awards =
| signature = <!-- file name only -->
}}
'''ヨーゼフ・アーロイス・シュンペーター'''(Joseph Alois Schumpeter, [[1883年]][[2月8日]] - [[1950年]][[1月8日]])は、[[オーストリア・ハンガリー帝国]](後の[[チェコ]])[[モラヴィア]]生まれの[[オーストリア]]の[[経済学者]]である。企業者の行う不断の'''[[イノベーション]]'''(革新)が[[経済]]を変動させるという理論を構築した。また、[[経済成長]]の創案者でもある<ref>{{cite journal | author =馬場宏二| year = 2003 | title ="経済成長" の初出| journal =大東文化大学経済学会経済論集| volume = 81 | pages = 79-87}}</ref>。
 
== 年譜生涯 ==
モラヴィアのトリーシュ(現[[チェコ]]領トジェシュチ)に出生。1901年に[[ウィーン大学]]法学部に進学し、[[1906年]]同大学にて博士号(法学)を取得。[[1908年]]『理論経済学の本質と主要内容』発表。
*1883年2月8日 [[オーストリア・ハンガリー帝国]]・[[モラヴィア]](現[[チェコ]])のトリーシュに生まれる。
 
*1901年 ウィーン大学法学部進学
[[1909年]]にツェルノヴィッツ大学准教授、次いで[[1911年]]に[[グラーツ大学]]教授に就任。[[1912年]]『経済発展の理論』発表。[[1913年]]、[[アメリカ合衆国]]の[[コロンビア大学]]から客員教授として招聘され名誉博士号を受けた。
*[[1906年]] [[ウィーン大学]]から博士号(法学)を取得
 
*[[1908年]] 『理論経済学の本質と主要内容』発表
[[1919年]]、[[オーストリア|オーストリア共和国]]の大蔵大臣に就任したが同年に辞職。[[1921年]]にはビーダーマン銀行の頭取に就任したが、[[1924年]]に同銀行が経営危機に陥ったため、頭取を解任され、巨額の借金を負った。
*[[1909年]] ツェルノヴィッツ大学准教授に就任
 
*[[1911年]] グラーツ大学教授に就任
[[1925年]] [[ライン・フリードリヒ・ヴィルヘルム大学ボン|ボン大学]]の教授に就任したのち、[[1927年]]には[[ハーバード大学]]の客員教授を引き受け、[[1932年]]には正教授に就任。この間の[[1931年]]には初めて来日し各地で講演を行っている。
*[[1912年]] 『経済発展の理論』発表
 
*[[1913年]] [[コロンビア大学]]から客員教授として招聘され名誉博士号を受ける
[[1939年]]『景気循環の理論』発表。[[1940年]]、[[Econometric Society|計量経済学会]]会長に就任し、その後も[[1947年]]に[[アメリカ経済学会]]会長に、[[1949年]]に[[国際経済学会]]会長に選出された。
*[[1919年]] [[オーストリア|オーストリア共和国]]の大蔵大臣に就任、同年辞職
 
*[[1921年]] ビーダーマン銀行の頭取に就任
*[[1942年]] 『資本主義・社会主義・民主主義』発表
*[[1924年]] 同銀行が経営危機に陥ったため、頭取を解任され、巨額の借金を負う
 
*[[1925年]] [[ライン・フリードリヒ・ヴィルヘルム大学ボン|ボン大学]]の教授に就任
[[1950年]]1月8日、[[コネチカット州]]にて[[動脈硬化症]]で急死。遺稿を元に『経済分析の歴史』が[[1954年]]になって出版された。
*[[1927年]]~ [[ハーバード大学]]の客員教授を引き受ける
*[[1931年]] 初めて来日し各地で講演
*[[1932年]] [[ハーバード大学]]の教授に就任
*[[1939年]] 『景気循環の理論』発表
*[[1940年]] [[Econometric Society|計量経済学会]]会長に就任
*[[1942年]] 『資本主義・社会主義・民主主義』発表
*[[1947年]] [[アメリカ経済学会]]会長に選出
*[[1949年]] [[国際経済学会]]会長に選出
*[[1950年]]1月8日 [[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[コネチカット州]]にて[[動脈硬化症]]で急死
*[[1954年]] 遺稿を元に『経済分析の歴史』出版
 
== 経済理論 ==
=== 一般均衡 ===
{{main|一般均衡}}
{{See also|[[レオン・ワルラス|Marie Esprit Léon Walras]]による[[一般均衡]]}}
*シュンペーターは[[レオン・ワルラス]]流の[[一般均衡]]理論を重視した。初の著書『'''理論経済学の本質と主要内容'''』はワルラスの<!--人口一定下での-->一般均衡理論をドイツ語圏に紹介するものであった。<BR>[[古典派経済学|古典派]]が均衡理論をもって現実経済を診断するのと異なり、シュンペーターは均衡をあくまで理論上の基準点として捉える。均衡状態はイノベーションによって不断にシフトしており、イノベーションが加わらないと[[市場経済]]は均衡状態に陥ってゆく。均衡では企業者利潤は消滅し[[利子]]もまたゼロになるという。市場均衡を最適配分とみる古典派の見解と異なり、シュンペーターにとって均衡は沈滞である。だから企業者は、つねに創造的な破壊をし続けなければ生き残れない。
*[[古典派経済学|古典派]]が均衡理論をもって現実経済を診断するのと異なり、シュンペーターは均衡をあくまで理論上の基準点として捉える。均衡状態はイノベーションによって不断にシフトしており、イノベーションが加わらないと[[市場経済]]は均衡状態に陥ってゆく。均衡では企業者利潤は消滅し[[利子]]もまたゼロになるという。市場均衡を最適配分とみる古典派の見解と異なり、シュンペーターにとって均衡は沈滞である。だから企業者は、つねに創造的な破壊をし続けなければ生き残れない。<BR>
 
=== イノベーション ===
{{Seemain|イノベーション}}
*イノベーションはシュンペーターの理論の中心概念であり、経済活動において旧方式から飛躍して新方式を導入することである。初期の著書『'''経済発展の理論'''』では'''新結合'''と呼んでいた。<BR>日本語では技術革新と訳されることがあるが、イノベーションは技術の分野に留まらない。
 
*イノベーションとは、経済活動において旧方式から飛躍して新方式を導入することである。日本語では技術革新と訳されることがあるが、イノベーションは技術の分野に留まらない。シュンペーターはイノベーションとして以下の5類型を提示した。<BR>
シュンペーターはイノベーションとして以下の5類型を提示した。
*#新しい財貨の生産<BR>
*#新しい財貨の生産方法の導入<BR>
*#新しい販売先生産方法開拓<BR>導入
*#新しい販売先の開拓
#原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得<BR>
*#新しい組織の実現(独占の形成やその打破)<BR>
 
*イノベーションの実行者を'''企業者(」(アントレプレナー: entrepreneur)''':entrepreneur)と呼ぶ。この意味における企業者は、一定のルーチンをこなすだけの経営管理者(土地や労働を結合する)ではなく、生産要素を''全く新たな組み合わせ''で結合し(新結合::neue neue Kombination)Kombination)、新たなビジネスを創造する者として重視される。この点を明確にするため近年{{いつ|date=2014年11月24日 (月) 15:04 (UTC)}}'''起業者'''と訳されることがある。<BR>
 
=== 信用創造 ===
*[[資本主義]]経済ではイノベーションの実行は事前に[[通貨]]を必要とするが、起業者は既存のマネーを持たないから、これに対応する通貨は新たに創造されるのが本質であるとシュンペーターは考えた。すなわちイノベーションを行う起業者が[[銀行]]から信用貸出を受け、それに伴い銀行システムで通貨が創造されるという[[信用創造]]の過程を重視した。貨幣や信用を実体経済を包むだけの名目上の存在とみなす古典派の貨幣ヴェール観と対照的である。
 
*「銀行家は単に購買力という商品の仲介商人なのではなく、またこれを第一義とするのではなく、なによりもこの商品の生産者である。・・……彼は新結合の遂行を可能にし、いわば国民経済の名において新結合を遂行する全権能を与える<!--「発展」-->」とシュンペーターは語っている。
 
=== 景気循環 ===
*起業者が銀行組織の信用供与(銀行からの借入)を受けてイノベーションを実行すると経済は撹乱されるが、その不均衡の拡大こそが[[景気循環|好況]]の過程であるとシュンペーターは考えた。一方で、イノベーションがもたらした新しい状況において[[独占]][[利潤]]を手にした先行[[企業]]に後続企業が追従して経済全体が対応し、[[信用収縮]](銀行への返済)により徐々に均衡化していく過程を[[景気循環|不況]]と考えた。以上は初期の『経済発展の理論』における基本的な見方であるが、後の大著『'''景気循環の理論'''』では景気循環の過程をより緻密に考察した。
 
== 資本主義・社会主義 ==
シュンペーターは社会学的アプローチによる研究有名であ行っている。この分野の主著『'''[[資本主義・社会主義・民主主義]]'''』は、経済が静止状態にある社会においては独創性あるエリートは官庁化した企業よりは未開拓の社会福祉や公共経済の分野に革新の機会を求めるに至る<!--森嶋通夫-->。持論のイノベーションの理論を軸にして、経済活動における新陳代謝を'''[[創造的破壊]]'''という言葉で表し、また、資本主義は、成功ゆえに巨大企業を生み出し、それが[[官僚]]的になって活力を失い、[[社会主義]]へ移行していく、という有名な理論を提示した。[[マーガレット・サッチャー]]は[[イギリス]]が、つねにこのシュンペーターの理論のとおりにならないよう警戒しながら政権運営をしていたという
 
またシュンペーターは[[カール・マルクス]]を評価しており、『経済発展の理論』<ref>「シュムペーター経済発展の理論」1937年、中山伊知郎、東畑精一共訳、岩波書店</ref>日本語訳(1937(1937)に寄せられた「日本語版への序文」(原文のまま掲載)<!---出典は?--この文章にはシュンペーターの貴重な考えが載っており、敢えて訳さなかったことによって後世の研究者が引用しやすくなったと言われる。--->で「自分の考えや目的が[[カール・マルクス|マルクス]]の経済学を基礎にしてあるものだとは、はじめ気づかなかった」「マルクスが資本主義発展は資本主義社会の基礎を破壊するということを主張するにとどまるかぎり、なおその結論は真理たるを失わないであろう。私はそう確信する<!--原文のまま掲載-->と述べている。
 
ほか、経済学史家としても仕事をしており、初期に『'''経済学史'''』を著し、晩年に大著『'''経済分析の歴史'''』を執筆した(没後遺稿を元に出版されている
 
== エピソード人物 ==
*シュンペーター門下の日本人経済学者としては、[[ボン大学]]時代の留学生である[[中山伊知郎]]、[[東畑精一]]、同じく[[ハーバード大学]]時代の[[柴田敬]]、[[都留重人]]など著名である。なお、[[伊東光晴]]によると、「日本の経済学者でシュンペーターのもとを訪れた者のうち、シュンペーター自身が、来る前から異常に高く評価したのは柴田敬であり、来た後に高く評価したのが都留重人であって、これ以外の人についてはほとんど評価していない」とされている<ref>宮崎義一、伊東光晴「忘れられた経済学者・柴田敬」経済評論53/8月号</ref>。
 
<!---出典なし。--
*[[小室直樹]]は、シュンペーターの業績は経済学界ではさほど継承されておらず、むしろ[[ピーター・ドラッカー]]のような[[経営学]]によってその発想や視点が旺盛に摂取されている、と述べ、またシュンペーターは数学は得意ではなく、弟子の[[ポール・サミュエルソン]]の数学の講義を聴いて勉強したと書いている<ref>『経済学をめぐる巨匠たち』</ref>。
*ハーバード大学の講義で「わがパパ、マルクス」としばしば言った。
*ハーバード大学で最も期待した門下生が[[ポール・スウィージー]]。--->
*[[小室直樹]]は、シュンペーターの業績は経済学界ではさほど継承されておらず、むしろ[[ピーター・ドラッカー]]のような[[経営学]]によってその発想や視点が旺盛に摂取されている、と述べ、またシュンペーターは数学は得意ではなく、弟子の[[ポール・サミュエルソン]]の数学の講義を聴いて勉強したと書いている<ref>『経済学をめぐる巨匠たち』</ref>。
 
== 主な著作 ==
105 ⟶ 94行目:
* [[伊東光晴]]・[[根井雅弘]]『シュンペーター』(岩波新書、1993年)
* [[根井雅弘]]『シュンペーター』(講談社学術文庫、2006年。シュンペーターの評伝)
* [[金指基]](1979)『J・A・シュムペーターの経済学』新評論(1979年)
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist}}
 
113 ⟶ 103行目:
* [http://diamond.jp/category/s-schumpeter めちゃくちゃわかるよ経済学 シュンペーターの冒険編]
 
{{デフォルトソート:しゆんへたせふ}}
[[Category:経済学者]]
[[Category:オーストリアの経済学者]]
[[Category:イノベーション経済学者]]
124 ⟶ 113行目:
[[Category:ライン・フリードリヒ・ヴィルヘルム大学ボンの教員]]
[[Category:グラーツ大学の教員]]
[[Category:モラヴィア・ドイツ系オーストリア人]]
[[Category:1883年生]]
[[Category:1950年没]]
[[Category:モラヴィア・ドイツ系オーストリア人]]