「マルコポーロ事件」の版間の差分
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{{正確性|date=2012年2月}}
'''マルコポーロ事件'''(マルコポーロじけん)とは、[[1995年]]2月に日本の[[文藝春秋]]が発行していた[[雑誌]]『[[マルコポーロ (雑誌)|マルコポーロ]]』が、内科医[[西岡昌紀]]が寄稿した[[ホロコースト]]を否定する内容の記事を掲載したことに対して、アメリカの[[ユダヤ人]]団体[[サイモン・ウィーゼンタール・センター]]などからの抗議を受けて同誌
== 概要 ==
発端は、文藝春秋が発行していた雑誌『マルコポーロ』の1995年2月号に掲載された記事「戦後世界史最大
その内容は、[[ナチス党]]政権下の[[ドイツ]]が[[ユダヤ人]]を[[差別]]、迫害したことは明白な史実としながらも、
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などというものであった。
この記事を掲載した『マルコポーロ』1995年2月号が発売されたのは
雑誌発売を受けて直ちに、[[アメリカ合衆国]]の[[ユダヤ人]]団体と[[イスラエル]][[大使館]]が、同誌を発行する文藝春秋社に抗議を開始した。特に[[サイモン・ウィーゼンタール・センター]](SWC)が内外の企業に対して、[[週刊文春]]をはじめとする文藝春秋社発行雑誌全体への広告出稿をボイコットするよう呼びかけた。ただしイスラエル大使館はSWCは終始一貫してマルコポーロの廃刊は求めていない。この事態により事件の話題性とニュースバリューは高まり、
執筆者の西岡や木村愛二などホロコースト見直し論者はこの決定に抗議を展開した。また、歴史認識と言論の
== 西岡論文 ==
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{{Quotation|チクロンBは、青酸ガスを遊離します。そして、青酸ガスは猛毒です。ですから、そのことだけを考えれば、「チクロンBによる大量殺人」という話は、何も不合理ではないように思われるかも知れません。しかし、こうしたこうしたことをするのに一体どれだけ時間が必要か、ちょっと定量的に考えてみたいのです。今、「定説」側が説明するように、「大量殺人」の目的で、チクロンBを「ガス室」に投げ込んだとしましょう。すると、投げ込まれたチクロンBは、先に述べたような原理で青酸ガスを遊離し始めます。ところが、ここで考えなければならない問題があるのです。それは、そうした青酸ガス遊離がどれくらい続くのか、という問題です。即ち、青酸ガスを吸収または吸着したパルプ片など(チップ)が「ガス室」に投げ込まれる。そして、その投げ込まれたチップから青酸ガスが遊離し始める。それは分かります。しかし、それでは、その青酸ガスの遊離が完全に終わるまでに、一体どれくらいの時間が掛かるのか。それを考えなければなりません。即ち、缶を開けてチクロンBの中身(パルプ片などのチップ)を出すと、それらのチップは青酸ガスを遊離し始めます。それを「ガス室」に投げ込んだのだと「定説」は言うわけですが、ここに重大な問題があります。それは、投げ込まれたチップからの青酸ガス遊離が終わらない内は、「ガス室」内部での青酸ガス遊離は続くということです。従って、その間は、「ガス室」を換気することは無意味ということになります。また、当然のことながら、その間は、「ガス室」の扉を開けることも、その中から死体を搬出することもできません。ですから、その「ガス室」での「大量殺人」に従事する作業員たちは、たとえ「ガス室」の中の人間が全員死んだとしても、「ガス室」内部でチクロンBが青酸ガスを遊離し続ける間は、「ガス室」の扉を開けることもできず、その外で待ち続けなければならなかったはずなのです。ところが、戦前チェコのプラハで発行されていたチクロンBの使用指示書(NI-9912)や、チクロンBの製造元が発行していた使用説明書を読むと、こう書かれてあるのです。チクロンBから青酸ガスが遊離し続ける時間(Einwirkungszeit)は、摂氏5度以下の場合で32時間、加熱すれば遊離は早まり、この時間を短縮できるが、それでも最低6時間にはなる、と。つまり、気温によって差はありますが、一旦チクロンBを缶から出したら、最低でも6時間は、青酸ガスを遊離し続けるということです。それどころか、気温が低ければ(摂氏5度以下の時)、32時間も青酸ガスが遊離し続ける場合もある、ということなのです。ですから、もしそのチクロンBを「ガス室」に投げ込んだら、投げ込まれたチクロンBは、5度以下では32時間、加熱した場合でも最低6時間は、青酸ガスを遊離し続けることになるのです。当然、その間は、たとえ「ガス室」内部の人々が全員死亡したとしても、「ガス室」を換気することも、扉を開けることもできない、ということになります。その上、プラハで発行されていた前述の使用指示書(NI-9912)や、チクロンBの製造元が発行していた使用説明書を読むと、こんなことも書いてあるのです。チクロンBを使って倉庫などの害虫駆除を行なった場合、その倉庫などの換気にどれくらい時間をかけるべきか、という記述があるのですが、それらによると、10時間から20時間の換気をしないと安全ではない、というのです。つまり、チクロンBが遊離する青酸ガスに、壁などに吸着し易いという物理的性質があるからだと思われます。(また、別の資料には、こうした吸着性の故に、強制換気をしてもあまり変わりがなく、それよりも長時間、自然の通風によって換気した方がよいという記述があるそうですが、この資料は、私自身は未入手で読んでいません)
いつ、どんな場所でも、このような長時間の換気が必要だったとは思いませんが、今論じている「ガス室」の場合、中空の部屋などではなく、人間の体でびっしりと満たされた空間なのですから、普通の倉庫などよりも換気が困難なことは想像するまでもありません。そこで仮に、この数字をそのまま適用すると、チクロンBで「ガス室処刑」を行なった場合、これだけ時間が掛かることになります。前述のように、チクロンBの青酸ガス遊離が終わるまでに最短でも6時間、最長で32時間。そして、換気に10時間から20時間というわけですから、合計して、最短で16時間、最長で52時間。「ガス室」にチクロンBを投げ込んで「処刑」を開始してから、「ガス室」の換気を終了するまでに、これだけ時間が掛かるということです。これが、「民族絶滅」の方法なのでしょうか?<ref>西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』(日新報道・1997年)217~220ページ</ref>}}
=== サイモン・ウィーゼンタール・センターによる抗議と広告ボイコット運動 ===
=== 文藝春秋による謝罪と『マルコポーロ』廃刊 ===
廃刊が発表された1月30日
=== 江川紹子による指摘 ===
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=== 西岡による批判 ===
廃刊が発表された1月30日(月)、問題となった論考の執筆者である西岡は、
西岡は、廃刊発表の2日後の2月1日に[[木村愛二]]企画による[[総評会館]]で記者会見を開いた。一方、文春関係者の一人も廃刊が発表された1月30日の夜西岡に電話をかけ文春・SWCに対抗する記者会見を開く事をひそかに提案しており当時の文春社内での社員の不満が伺える、と西岡は述べた。が、それらを含めた会見発言や発言内容の動揺は執筆者の責任回避と受けとめられ、記者会見の西岡の主張が在京マスメディアで好意的に受け止められることは無かった。
==== 厚生省による圧力 ====▼
廃刊発表の翌日の1月31日(火)、当時[[厚生省]]職員であった西岡の行動に対して、厚生省幹部は、西岡の勤務病院幹部を通じて、事件について今後、一切発言をしないようにと言う圧力をかけている<ref>この厚生省による事件への介入については、m9 Vol.2 ([[晋遊舎]]ムック2008年)に掲載された同誌による西岡へのインタビューに詳しい</ref>。特に、その翌日に行われる事となった記者会見を中止するように、強い圧力を加えている。厚生省直轄の勤務病院で、西岡はなかば軟禁状態に置かれた。▼
記者会見当日の2月1日(水)、西岡は、このままでは病院から出られないのではないかと思い、記者会見に出席しないという嘘を関係者に流して厚生省側を安心させた上で、病院の前に迎えに来た『サンデー毎日』の車に飛び乗り、都内の記者会見会場に到着している。この厚生省からの圧力について、西岡は、記者会見の冒頭で、官庁名(厚生省)は出さないままに強く批判した。しかし、翌日の[[朝日新聞|朝日]]・[[毎日新聞|毎日]]・[[読売新聞|読売]]・[[日本経済新聞|日経]]は、西岡による記者会見自体は伝えながら、西岡が記者会見冒頭で抗議した厚生省による介入については、報道をしなかった。(『[[正論 (雑誌)|正論]]』と[[スポーツ新聞]]のいくつかはこの官庁による圧力を比較的大きく報じた)▼
▲廃刊発表の翌日の1月31日
▲記者会見当日の2月1日
=== 文藝春秋社とSWC共同記者会見 ===
田中社長の記者会見について。
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また、記事の中で西岡に「ガス室を捏造した」と名指しされたポーランド大使館は沈黙を守っている。新聞、テレビは、ポーランド大使館の沈黙に注目しなかったが、『[[噂の真相]]』は、ポーランド大使館に沈黙の理由を問い合せている。この『噂の真相』からの問い合わせに対し、ポーランド大使館は「既に抗議活動が起きていたので、それに加わる必要はないと考えた」という意味の回答を寄せている。
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木村愛二は
2月18日の討論会の場で、[[常石敬一]]は、ナチスドイツは、[[アウシュヴィッツ]]等のガス室で、議論の多い[[ツィクロンB]]を使ったのではなく、[[サリン]]等の[[神経ガス]]を使用したのではないか?と言う新説を述べた。又、同じ2月18日の討論会の場で
=== アジア記者クラブ主催講演 ===
オウム真理教への強制捜査などの報道の中、世論の多数が廃刊やむなしで収束したことにより、この事件の報道は下火とな
=== 渡辺武達による批判 ===
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