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[[Image:B-24 hit by Flak.jpg|thumb|250px|ドイツ軍による[[8.8 cm FlaK 18/36/37|88ミリ高射砲]]の射撃によって、主翼を破壊される[[B-24 (航空機)|B-24]] [[爆撃機]]]]]]
[[Image:Canadian 1918 antiaircraft team.jpg|thumb|250px|[[第一次世界大戦]]中の[[カナダ軍]]の高射砲部隊]]
'''高射砲'''(こうしゃほう)は、敵[[航空機]]の攻撃から自軍を護るために作られた[[大砲|火砲]]。[[普仏戦争]]で敵の弾着観測[[気球]]を狙い撃つため、[[プロイセン王国|プロイセン]]軍が用いた軽量砲架の[[口径|小口径]]砲がその祖形<ref>イアン・V・フォッグ『大砲撃戦 <small>野戦の主役、列強の火砲</small>』小野佐吉郎訳、[[産業経済新聞社|サンケイ新聞]]出版局、1972年</ref>である。
 
[[1912年]]に[[ドイツ]]が[[野砲]]を改造して使用したのが近代的高射砲の始まりである。主に[[第二次世界大戦]]において高々度から侵入する[[連合国 (第二次世界大戦)|連合軍]]の[[戦略爆撃機]]から軍事施設あるいは人口密集地の都市を守るために[[ドイツ国防軍|ドイツ軍]]は対空[[射撃管制装置]][[ウルツブルグ (レーダー)|ウルツブルク・レーダー]]と高射砲を組み合わせ有効な防空戦を展開した。
 
野戦において陣地あるいは[[装甲戦闘車両|装甲車両]]などの[[戦術爆撃|戦術目標]]を中・低空から攻撃する[[戦術爆撃#戦術爆撃機|戦術爆撃機]]、[[急降下爆撃機]]に対しては高射砲ほどの大きな射高を必要とせず効果的に[[弾幕]]の張れる[[機関砲]]が利用された。
 
[[大日本帝国陸軍]]では'''高射砲'''、[[大日本帝国海軍]]では'''高角砲'''(こうかくほう)と呼んだ。また、最近は高々度を飛行する敵機を[[撃墜]]するには[[対空ミサイル]]が使用され、旧来の「高射砲」が出番を失ったためか、比較的低空で地上攻撃する敵機に対する砲を「高射砲」ではなく、「[[対空砲]]」と呼ぶことも多い。しかし、「高射砲」「高角砲」「対空砲」はいずれも[[英語]]では同じ'''Anti-aircraft gun'''(対航空機砲、略称でAAG)であり、[[日本語]]訳におけるニュアンスの差でしかなく、基本的に同義である。
<!--[[砲兵]]のうち、高射砲を主装備としたものを特に高射砲兵と呼ぶ。-->
 
== 概要 ==
高々度を高速で飛行する[[航空機]]を射撃対象とするために、対地・対艦用の[[大|砲]]と異なっている部分がある。具体的には、仰角の向上、旋回速度の向上などである。航空機が発達し、高速化・高高度飛行が常態になると、装填速度の向上や[[砲弾]]速度も求められるようになった。
 
後には高射砲に加えて、高射装置がセットで運用されることが多くなった。高射装置とは[[射撃管制装置]]の一種で、目標航空機の「現在位置」「高さ」「速度」を測定して未来位置を計算して照準を行い、最大の効果が得られる時に砲弾を炸裂させるよう[[信管#作動方式による分類|時限信管]]を調定する機械である。時限信管による射撃は命中率が低かったが、[[近接信管]]が開発されると命中率が飛躍的に向上していった。
 
== 日本陸軍の高射砲部隊編成 ==
高射砲の1個[[中隊]]は7.5-12cmまでの高射砲を4門。高射砲1[[連隊]]はおよそ4[[大隊]]、1大隊2個中隊の編成である。前述のように高射砲は高射装置などさまざまな機器と連係をとって対空戦を行う。以下のような装備が用いられた。
 
*高射砲
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=== アメリカ ===
*M3 3インチ高射砲([[:en:3-inch Gun M1918|3-inch Gun M1918]])
*[[M1 90mm高射砲]]([[:en:90 mm Gun M1/M2/M3|90 mm Gun M1/M2/M3]])
*[[M1 120mm高射砲]]([[:en:120 mm M1 gun|120 mm M1 gun]])
*[[M51 75mm高射砲]]
 
=== ロシア(ソ連) ===
[[ファイル:52-K.jpg|thumb|[[ソビエト連邦|ソ連]]の85mm高射砲M1939(52-K)]]
*M1931 76.2mm高射砲 M1931
*[[M1938 76mm高射砲|76.2mm高射砲 M1938]]
*[[52-K 85mm高射砲|M1939(52-K) 85mm高射砲 M1939(52-K)]]
*M1944 85mm高射砲 M1944
 
=== イギリス ===
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=== フランス ===
*75mm高角砲 M1922-1924・1927 75mm高角砲
*M1926 90mm高角砲 M1926
*M1930 100mm高角砲 M1930
*M1945 100mm高角砲 M1945
 
=== イタリア ===
*M1934 75mm高射砲 M1934
*M1935 75mm高射砲 M1935
*[[Da 90/53|M39/41 90mm高射砲 M39/41]]
 
=== ドイツ ===
[[Image:Flak88.jpg|thumb|150px|[[ドイツ国防軍|ドイツ軍]]の88ミリ高射砲。[[対戦車砲]]としても高性能な砲であったためにドイツ軍で大いに重宝された]]
*7.5 cm FlaK
*[[8.8 cm FlaK 18/36/37]]
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=== 日本 ===
[[Image:三式12cm高射砲.jpg|thumb|200px|[[本土防空戦]]で活躍した三式12cm高射砲]]
*[[大日本帝国陸軍|陸軍]](高射砲)
**[[五式十五糎高射砲|五式15cm高射砲]]
**[[四式七糎半高射砲|四式7.5cm高射砲]]
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== 日本海軍における高角砲 ==
[[戦闘艦|戦闘艦艇]]への[[対空兵器]]の配備は比較的遅く、[[航空機]]が実用化された[[大正時代]]からとなる。当初は[[偵察]]や[[弾着観測]]を行う少数の航空機の排除を想定していたため、高角砲を装備したのは艦体に余裕のある[[巡洋艦]]以上に限られていた。その数も単装砲を数基装備するのみであり、あくまで補助的な兵装という扱いであった。
 
[[第二次世界大戦]]が始まると、戦闘艦艇の任務は戦前の想定に反して航空攻撃に対抗する対空戦闘が主となり、高角砲は近接戦闘用の機銃と併せて対空戦闘の主兵装として用いられた。
 
そのため、[[大日本帝国海軍]]においても相対的に対空兵装が重視されるようになり、各艦は相次いで対空兵装の強化が行われた。この中には[[大和型戦艦]]の2隻、[[重巡洋艦]]の「[[摩耶 (重巡洋艦)|摩耶]]」、[[軽巡洋艦]]の「[[五十鈴 (軽巡洋艦)|五十鈴]]」や「[[夕張 (軽巡洋艦)|夕張]]」のように対艦兵装の一部を撤去して高角砲または[[機関銃|機銃]]に変えられた例も少なくない。また、新造艦においては[[駆逐艦]]以下の小型艦艇でも、[[秋月型駆逐艦]]や[[松型駆逐艦|丁型駆逐艦]]、船団護衛用の[[海防艦]]など、高角砲を主兵装として搭載する艦が計画され、次々に戦線へ投入された。これら艦載の高角砲の一部は拠点にいて揚陸され、拠点防衛用の陸砲として用いられるものもあった。
 
[[日本の降伏|日本の敗戦]]により大日本帝国海軍が消滅すると、高角砲という呼称も消滅した。戦後、結成された[[海上自衛隊]]の[[護衛艦]]に搭載される砲熕兵器は多目的に用いられることが前提となっており、高角砲という呼称は用いられていない。
 
*海軍(高角砲)
** [[四〇口径三年式八糎高角砲|40口径三年式8cm単装高角砲]]
** 五年式短8cm八糎
** 40四〇口径十一年式8cm八糎単装高角砲
** [[六〇口径九八式八糎高角砲|60口径九八式8cm高角砲]](長8サンチ高角砲)
** 50五〇口径八八式10cm一〇糎高角砲
** [[六五口径九八式一〇糎高角砲|65口径九八式10cm高角砲]](長10サンチ高角砲)
** [[四五口径十年式十二糎高角砲|45口径十年式12cm高角砲]]
** [[四〇口径八九式十二糎七高角砲|40口径八九式12.7cm高角砲]](12.7サンチ高角砲)
** [[短十二糎砲|短12cm砲]]
** [[短二十糎砲|短20cm砲]]
 
== 註 ==