ホーム
おまかせ表示
付近
ログイン
設定
寄付
ウィキペディアについて
免責事項
検索
「人間将棋」の版間の差分
言語
ウォッチリストに追加
編集
履歴の双方向閲覧
← 古い編集
新しい編集 →
削除された内容
追加された内容
ビジュアル
ウィキテキスト
2014年11月28日 (金) 01:38時点における版
編集
113.43.104.250
(
会話
)
→歴史
← 古い編集
2014年11月28日 (金) 01:40時点における版
編集
取り消し
113.43.104.250
(
会話
)
→歴史
新しい編集 →
18行目:
人間を駒に見立てて将棋を指すというアイデアは、[[豊臣秀吉]]が[[伏見城]]で小姓や腰元を将棋の駒に見立て、「将棋野試合」を行ったという故事がきっかけとなっている{{要出典|date=2014年11月}}。
天童は江戸時代(天童藩織田家2万石)から将棋駒の生産で知られ、織田信美(のぶかず)が文政年間に
、
財政再建に成功した米沢藩上杉家から駒師を招き、家老である吉田大八の指揮のもと藩士に学ばせた。(「天童藩史」「御家建て直し」など)
現在でも将棋駒の約95パーセントがこの地域で生産されている。