「スワヒリ語」の版間の差分

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== 概要 ==
[[File:Swahili-pn.jpg|thumb|left|160px|もともとスワヒリ語はアラビア文字で書かれていたが、19世紀末以後宣教団によって[[ラテン文字]]の記述法が開発され、主流となった。この文章は[[カトリック教会|ローマ・カトリック]]の[[主の祈り]]である。最上部にスワヒリ語でBaba Yetu(ババ・イェツ、我らの父)との表記がある<ref>http://wikisource.org/wiki/Baba_yetu</ref>]]
 
スワヒリ語は東アフリカ沿岸地域の多くの民族の[[母語]]となっている[[バントゥー諸語]]の一つである。 数世紀にわたる[[アラブ人|アラブ系]]商人とバントゥー系諸民族の交易の中で、現地のバントゥー諸語に[[アラビア語]]の影響が加わって形成された言語であり、語彙の約35%はアラビア語に由来する。また、[[ペルシャ語]]、[[ドイツ語]]、[[ポルトガル語]]、[[インドの言語]]、[[英語]]からの借用語も見られる。母語としての使用者は、[[ザンジバル]]全域で使用されているほかはケニアおよびタンザニアの沿岸部において使用されるのみであるが、現在、東アフリカでは主に[[第二言語]]として数千万人に使用されており、異なる母語を持つ民族同士の[[共通語]]としての役割を果たしている。
 
[[タンザニア]]、[[ケニア]]では[[公用語]]、[[コンゴ民主共和国]]では[[国語]]に定められている。また、[[ウガンダ]]は1992年にスワヒリ語を小学校の必修科目に指定し(実態は伴っていない)、2005年には[[東アフリカ連邦]]構想を念頭に公用語に指定した。スワヒリ語とその近縁の言語は、[[コモロ]]のほぼ全域([[コモロ語]]参照)、[[ブルンジ]]・[[ルワンダ]]・[[ザンビア]]北部・[[マラウイ]]・[[モザンビーク]]・[[ソマリア]]南部沿岸地域の一部でも話されている<ref>Nurse & Thomas Spear (1985) ''The Swahili''<br /></ref>。コモロ語はスワヒリ語の近縁の言語であるが、アラビア語からの借用要素がより多いものである<ref>田辺 裕、島田 周平、柴田 匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』、朝倉書店  p197 ISBN 4254166621</ref>。スワヒリ語話者はかつて北は[[モガディシュ]]まで広がっており、[[紅海]]南部の港市や[[アラビア半島]]南岸、[[ペルシャ湾]]岸でも通用した<ref>Kharusi, N. S. (2012). The ethnic label Zinjibari: Politics and language choice implications among Swahili speakers in Oman. Ethnicities 12(3) 335–353, http://etn.sagepub.com/content/12/3/335 </ref><ref>Adriaan Hendrik Johan Prins (1961) ''The Swahili-speaking Peoples of [[Zanzibar]] and the East African Coast.'' ''(Ethnologue)''</ref>。しかし、20世紀半ばまでにソマリアにおけるスワヒリ語の範囲は[[キスマヨ]]、[[バラワ]]および周辺の海岸沿いと沖合の小島のみへと狭まり、1990年にはスワヒリ語話者を含む多くのバントゥー系が内戦を避けてケニアへ流れた。現在ソマリアに残っているスワヒリ語話者の人口は定かでない。また、[[アフリカ連合]]においては英語、フランス語、[[スペイン語]]、[[ポルトガル語]]、[[アラビア語]]と並んで6つの公用語のうちのひとつとなっている。スワヒリ語話者の増大と言語の地位上昇に伴い、世界各国の放送局がスワヒリ語放送を開始している。スワヒリ語圏以外でスワヒリ語放送を行っている、あるいは行っていた放送局は、[[BBCワールドサービス]]、[[ボイス・オブ・アメリカ]]、[[ドイチェ・ヴェレ]]、[[ロシアの声]]、[[中国国際放送]]、[[ラジオ・フランス・アンテルナショナル]]、ラジオ・スーダン、ラジオ・南アフリカなどである。
 
[[ガスリー]]によるバントゥー諸語の分類法では、スワヒリ語はGゾーンに属する。
 
スワヒリという語は、[[アラビア語]]で「海岸に住む人」を意味する「sawāhalii سواحلي」に由来する(sawāhaliiは「sāhil ساحل」(海岸、境界)の複数形「sawāhil سواحل」の派生語)。
 
知られている最も古いスワヒリ語文献は、1711年に[[キルワ]]でアラビア文字で書かれた手紙である。これはキルワのスルタンが、[[モザンビーク]]の[[ポルトガル人]]と、地元の同盟国に向けて書いたものである。この手紙は、現在は[[インド]]の[[ゴア]]にある歴史的公文書館に収蔵されている<ref>E.A. Alpers, ''Ivory and Slaves in East Central Africa'', London, 1975, pp. 98–99 ; T. Vernet, "Les cités-Etats swahili et la puissance omanaise (1650–1720), ''Journal des Africanistes'', 72(2), 2002, pp. 102–105.</ref>。このほか、知られている最古のスワヒリ語文献の一つには1728年の『Utendi wa Tambuka』(Tambukaの物語)と題する[[アラビア文字]]による[[叙事詩]]がある。[[ラテン文字]]が一般化したのはヨーロッパ諸国による植民地化以後のことである。
 
スワヒリ語は「メタヒリ (Methali)」、すなわち言葉遊び・洒落・韻文の形をとる諺・寓話の類が発達している(例:''Haraka haraka haina baraka'' 英訳:Hurry hurry has no blessing)<ref>Lemelle, Sidney J. "'Ni wapi Tunakwenda': Hip Hop Culture and the Children of Arusha." In ''The Vinyl Ain't Final: Hip Hop and the Globalization of Black Popular Culture'', ed. by Dipannita Basu and Sidney J. Lemelle, 230-54. London; Ann Arbor, Michigan. Pluto Pres</ref>。メタヒリはスワヒリラップ(Swahili rap, Swah rap)の中にも見ることができ、音楽に文化・歴史・地域的な質感を与えている。
 
==スワヒリ語の由来==
現代スワヒリ語には[[アラブ語]]や[[ペルシャ語]]以外にも英語からなどの[[借用語]]が多く含まれており<ref>4割がアラビア語であると言われている</ref>、[[クレオール言語]]の一つと見なされているが、学説上では単一言語起源説と複数の言語的な核の存在を想定する説で分かれている。