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『'''赤い蝋燭と人魚'''』(あかいろうそくとにんぎょ)とは、[[1921年]]([[大正]]10年)に発表された[[小川未明]]の創作[[童話]]。 [[人間]]に潜む[[エゴイズム]]と異形の者が抱く[[怨念]]をテーマとした作品である。
 
== 概要 ==
人間の優しさに[[幻想]]を抱いた[[人魚]]の[[]]によって、老夫婦に託され、裏切られた人魚の娘の物語である。大正10年1月に[[東京朝日新聞]]に連載され、未明の出世作となった。 
 
この作品は、[[新潟県]][[上越市]][[大潟区]]の[[雁子浜]](がんこはま)に伝わる[[人魚伝説]]から得た[[発想]]を元にしたと言われている。雁子浜には当時から創業している、ろうそく屋が現存しており、これが[[モデル]]になったと言われている。
 
== あらすじ ==
ある[[]]の暗い[[]]に[[身重]]の人魚が棲んでいた。人魚は辺りを見回して、あまりにも海が寂しいので子供が可愛そうだと考えた。人魚は人間が優しい心を持っていて、[[]]は楽しい所だと聞いていたので、海辺の街の[[神社]]に行って、子供を産み落とすことに決める。
 
翌朝、人魚の捨て子は神社のそばの、ろうそく屋の老夫婦に拾われた。その子はとても大切に育てられ、美しい娘に成長する。人魚の娘が白い[[ろうそく]]に赤い絵を描くと、たちまち評判となり、ろうそく屋は繁盛する。神社に納めたろうそくを灯して[[漁]]に出ると、[[時化]]でも無事に帰ってこられるということが分かり、ますます評判が広まった。
 
評判を聞きつけた[[行商人]]([[香具師]])が人魚に目をつけ、老夫婦に娘を売ってくれるように頼んだ。最初のうち老夫婦は娘を手放そうしなかったが、「昔から、人魚は、[[不吉]]なものとしてある。」という香具師の言葉と、法外な[[]]を前にして手放すことになってしまう。娘は、自分が入れられる[[]][[]]を見て、老夫婦の元を離れたくないと懇願するが、欲に目が眩んだ老夫婦は耳を貸さなかった。娘は[[真紅]]に染めたろうそくを残して、連れて行かれた。
 
その夜、老夫婦の元に、不気味な女が現れ、真紅のろうそくを買って行った。すると突然に海が荒れ狂い、沢山の[[]]が転覆し、娘の乗った船も檻と共に沈んでしまう。それからというもの、神社に灯がともると大時化が来て人が死ぬようになる。老夫婦は神様の罰が当たったのだと考え、ろうそく屋を廃業する。
 
ろうそく屋がなくなっても、その呪いは収まらず、山の上の神社は恐れ嫌われて人が途絶え、数年後には街全体が滅びてしまう。
 
== 雁子浜の人魚伝説 ==
この伝説は、袴形村にまだ[[住吉神社]]があったころに起きた、ある[[水難事故]]が元になっていると言われている。袴形の神社は小高い丘の上の松林の中にあり、[[佐渡島]]を臨む鳥居の南側には[[常夜灯]]が一列に並んで、悪天候でも献灯が絶えなかった。この献灯の光を頼って、[[佐渡島]]から渡ってくる不思議な女がいた。雁子浜の若者が女と恋仲となって、毎晩抜け出すようになった。若者には[[許嫁]]がおり、その母が二人の恋路を咎めたため、若者はひと夜献灯を休んでしまった。そのため女は遭難して溺れ、袴形の崖下に打ち上げられ、若者も女の後を追って身を投げた。同情した村人達は二人を弔って、常夜灯のそばに比翼塚を作り、小さな地蔵尊像を安置した。いつしか献灯は行われなくなり人も絶え、丘の上の住吉神社は寂れて、[[明治]]41年に崩山の地に移された。<ref>大潟商工会パンフレットより</ref> 
 
この話が人魚伝説となって後世に伝わり、未明の童話のモチーフとなった。現在神社の跡地は整地され、石碑と[[灯籠]]を一基を残すのみとなっている。
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== 関連項目 ==
* [[和蝋燭]]
* [[いわさきちひろ]] - 絵本作家。童話作品の挿絵としては未完の遺作となった。ちなみに童話の挿絵の制作の際、病症の身を押して雁浜へと足を運んでいたという
* [[酒井駒子]] - [[イラストレーター]]。[[偕成社]]版の挿絵のイラストレーターを描く
* [[湯川秀樹]] - [[理論物理学者]]。幼時の頃からのお気に入りで、童話作家を夢見たこともあったという。
* [[赤い鳥#テレビアニメ|まんが赤い鳥のこころ]] - 第11話にて放送され、連れ去られた人魚の娘の顛末を脚色に加えられた。