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[[画像:Andrew_jackson_head.jpg|right|thumb|200px|[[アンドリュー・ジャクソン]]]]
{{民主主義}}
'''ジャクソン流民主主義'''(ジャクソンりゅうみんしゅしゅぎ、英
ジャクソン流民主主義をジェファーソンの時代と比べると、[[アメリカ合衆国議会]]に対して[[行政]]府と大統領の力が強くなり、また政府に対して大衆の関与を広く求めるようになった。ジャクソン支持者は資産階級よりもあらゆる白人男性に参政権を与えることを信奉し、政治家がその支持者を管理ポストに就けることを可能にする後援会制度を支持していた。そうすることで、特権階級の力を弱め、貴族政治の擡頭を阻止できるとしていた。指名ではなく選出された判事を要求し、その価値観を反映させるために州憲法の改定を要求した。国全体を見れば、[[マニフェスト・デスティニー]](明らかな使命)という言葉で領土の拡張を正当化し推進した。ジャクソン支持者(民主党)とホイッグ党の間では、[[奴隷制]]についての論争を避けるという暗黙の合意があった。ジャクソン流民主主義の時代は、ジャクソンが大統領に選ばれた[[1828年]]から奴隷制の問題が大きく取り上げられた[[1850年]]以降まで続いたということもでき、その後は[[南北戦争]]がアメリカの政治を作り直して、[[第三政党制 (アメリカ合衆国)|第三政党制]]時代となった。
== 政治哲学 ==
ジャクソン流民主主義には幾つかの原則からなっていた。
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