「ナバラ州」の版間の差分

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Aralarretik Aizkorri mendikatea.JPG|{{仮リンク|アララール山地|en|Aralar Range}}(山岳部)
PuenteArga.jpg|[[アルガ川]](中央部)
Bardenas Reales 4.jpg|{{仮リンク|[[バルデナス・レアレス|en|Bardenas Reales}}]](河岸部)
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ナバラに残る最古の考古学遺跡は、後期[[旧石器時代]]の{{仮リンク|マドレーヌ文化|en|Magdalenian}}期(18,000年前 - 11,000年前)のものである<ref name=subete25>ナバラ州政府(2005)、p.25</ref>。北西部の{{仮リンク|アララール山地|en|Aralar Range}}には[[青銅器時代|金属器時代]]初期の[[巨石記念物]]([[支石墓|ドルメン]]、[[メンヒル]]、[[ストーンサークル]])が見られ、南部には[[鉄器時代]]の集落が発見されている<ref name=subete26>ナバラ州政府(2005)、p.26</ref>。
 
その後やってきた[[ケルト人]]はバスク地方に金属加工術や火葬の習慣をもたらし、紀元前3世紀には[[カルタゴ]]人がピレネー山麓に達した<ref name=bard1920>バード(1995)、pp.19-20</ref>。紀元前133年の{{仮リンク|ヌマンティア|en|Numantia}}の攻囲戦で[[古代ローマ人]]がケルト人を破ると、紀元前75年には[[グナエウス・ポンペイウス]]が自身の名に因んだ都市ポンパエロ(現[[パンプローナ]])を建設した<ref name=allieres4143>アリエール(1992)、pp.41-43</ref>。ポンパエロには神殿、[[古代ローマの公衆浴場|公衆浴場]]、邸宅などが築かれてローマ的な都市となり<ref name=bard2528>バード(1995)、pp.25-28</ref><ref name=michi9>大泉(2007)、p.9</ref>、[[ブドウ]]、[[オリーブ]]、[[小麦]]などのローマ作物の大規模農場が作られた。東部のサングエサやルンビエル、[[アラゴン川]]や[[アルガ川]]河畔の町はローマ化が著しく、逆に山間部の谷はほとんどローマの影響を受けなかった<ref name=bard2528/>。ローマ時代にキリスト教がバスク地方に定着していたとする有力な証拠はないが、伝説によれば、[[レイレ修道院]]の建設は435年、イラチェ修道院の建設は西ゴート時代、[[ロンセスバーリェス]]修道院の建設は638年とされている<ref name=bard3134>バード(1995)、pp.31-34</ref>。
 
=== 中世・近世 ===
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[[File:Parlement_Navarre_2011.png|thumb|right|200px|ナバラ州議会の議席分布(2011年-)]]
 
[[フランシスコ・フランコ]]独裁政権の終焉後、1982年にナバラ自治州憲章が制定され、ナバラ県は17[[スペインの地方行政区画|自治州]]のひとつとなった。教育、社会サービス、住宅開発、都市開発、環境保護などがナバラ州の政治機関の責任下に置かれている。また、17自治州のうち15自治州では中央政府が徴税した税金の一部を各自治州に分配しているが、ナバラ州と[[バスク自治州]]は各県に徴税権があり、その一部が国庫に納められる<ref>萩尾生・吉田浩美『現代バスクを知るための50章』明石書店、2012年、pp.151-155</ref>。他の自治州同様に、ナバラ州議会は4年ごとに州議員選挙を行っており、議会の多数派がナバラ州政府を担当する州首相を決定する。1979年には、国民同盟(AP、[[国民党 (スペイン)|国民党]](PP)の前身)と提携する地方政党である[[ナバーラ住民連合|ナバラ住民連合]](UPN)のハイメ・イグナシオ・デル・ブルゴが初の首相に選出されたが、70議席中9議席を獲得した[[バスク・ナショナリズム|バスク民族主義]]左派政党も一定の強さを示した<ref name=bard305309/>。1980年には[[民主中道同盟連合]](UCD、後に解散)から、1984年には[[スペイン社会労働党]](PSOE)のナバラ支部である[[ナバラ社会党]](PSN)から州首相が選出された。ナバラ社会党は7年間にわたって州首相の座を維持し、1991年からの4年間はナバラ住民連合が、1995年からの2年間はナバラ社会党が州首相の座を担ったが、1996年にはナバラ住民連合が州首相の座を奪い返し、その後は継続してナバラ住民連合が政権を担っている。現在の州首相は2011年にナバラ住民連合から選出されたジョランダ・バルシーナ(女性)である。右派のナバラ住民連合と左派のナバラ社会党に加え、[[バスク・ナショナリズム|バスク民族主義]]を標榜する政党もかなりの得票を得ており、北部のいくつかの地域ではこれらの政党が多数派である。これらの政党はナバラ州とバスク自治州の合併を指針に挙げているが、スペインにあるすべての政党同様に、ナバラ社会党もナバラ住民連合もこの動きに反対している。
 
{| class="wikitable"
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== 文化 ==
=== 料理 ===
[[File:Queso roncal.jpg|thumb|right|200px|[[ロンカル]](チーズ]]
 
ナバラ州は[[大西洋]]にも[[地中海]]にも面していないが、[[ピレネー山脈|ピレネー山麓]]の河川で獲れた[[マス]]や[[サケ]]などの[[川魚]]が料理に用いられることがあり<ref name=subete4751>ナバラ州政府(2005)、pp.47-51</ref>、ナバラの伝統料理としてマスのナバラ風<ref>トゥルチャ・ア・ラ・ナバラ。{{lang-es|Trucha a la Navarra}}。背開きにしたマスの中に生ハムを挟んでオーブンで焼いた料理であり、ナバラ地方独特の料理である。出典は辻勲『専門料理全書 スペイン料理』辻学園調理技術専門学校、1999年、pp.68-69「ますのナバラ風」</ref>がある<ref name=subete4751/><ref name=nissei>{{cite web |url=http://www.travelinfospain.net/?page_id=77 |title=ナバラ Navarra |date= |accessdate=2014-11-08 |work=日西観光協会}}</ref>。肉料理にはカルデレーテ(羊肉またはウサギ肉と野菜の煮込み)、ゴリン(ローストポーク)などがあり、山岳部では[[ヤマウズラ]]、[[キジバト]]、[[ウサギ]]などの[[ジビエ]](狩猟鳥獣)が食材として用いられる<ref name=subete4751/><ref name=nissei/>。
 
VPプラド・デ・イラチェ<small>([[:en:Prado de Irache|英語版]])</small>やVPアリンサノ<small>([[:en:Pago de Arinzano|英語版]])</small>やVPパゴ・デ・オタスなどの[[ワイン]]、[[アスパラガス]]、{{仮リンク|ピキーリョ|en|Piquillo pepper}}(赤ピーマン)、{{仮リンク|[[ロンカル]](チーズ|en|Roncal cheese}}{{仮リンク|[[イディアサバル]](チーズ|en|Idiazabal cheese}}、{{仮リンク|パチャラン|en|Patxaran}}(食後酒)には[[デノミナシオン・デ・オリヘン|DO]](原産地呼称制度)が導入されている<ref name=subete7176/>。河岸地方で生産されるコゴーリョ(小型レタス)、[[アーティチョーク]]、[[グリーンピース]]、[[ソラマメ]]などもナバラの代表的な野菜であり<ref name=subete4751/>、また[[トゥデラ]]の[[モモ]]、エチャウリの[[サクランボ]]などの果物などもある<ref name=subete4751/>。[[リンボク]]の実を熟成させたパチャランは家庭でも作られており、モスカテル(甘口ワイン)はデザートとしても選択される<ref name=subete4751/>。
 
=== 祭礼 ===