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== 経歴 ==
スペイン・[[バスク地方]]のチームである[[エウスカルテル・エウスカディ]](Euskaltel-Euskadi)から[[2000年]]にプロ選手としてデビューする。この時から将来的にバスクを代表するプロ選手になる逸材としてバスクのファンからは期待を寄せられていた。
 
[[2002年]]には[[ブエルタ・ア・エスパーニャ]]総合5位の成績を収め、2003年に[[ツール・ド・フランス]]において[[ラルプ・デュエズ]]峠を含むステージで自身初のステージ優勝を飾り総合6位と健闘する。このため、ポスト[[ランス・アームストロング]]の最有力候補とも囁かれることとなった。  
 
[[2004年]]には[[ドーフィネ・リベレ]]総合優勝し、ツール・ド・フランスでは優勝候補の一角として期待された。しかし、慣れない石畳のコースで転倒して以降精彩を欠き、望むような成績をあげることが出来ずにリタイアとなる。この後は不調が続き、[[2005年]]にはメジャーレースでの完走すらままならない成績を繰り返した。
 
[[2006年]]にようやく復調の兆しをみせ、ドーフィネ・リベレで1つのステージ優勝をあげるものの、復活が期待されたツール・ド・フランスではリタイアに終わった。
 
===ドーピング問題===
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しかし10月に出されたBサンプルの検査結果に[[国際自転車競技連合|UCI]]は即座に待ったをかけた。世界アンチドーピング機関(WADA)のルールでは、Bサンプルの検査はAサンプルが行われたのと同じ検査機関で行われなければならないにもかかわらず、マヨの検体はAサンプルが検査された[[パリ]]郊外のシャトネ・マラブリ研究所が夏期休暇だったという理由で[[ベルギー]]の[[ヘント]]の研究所で行われていたため。その後、シャトネ・マラブリ研究所でBサンプルの検査が再度行われ、Aサンプル同様、陽性と判定された。<ref>[http://www.cyclesports.jp/newsdepot/07/1220/index.html マヨが再検査で陽性!(サイクルスポーツ 2007年12月20日付記事)]</ref>
 
2007年限りでサウニエル・デュバル・プロディールとの契約を打ち切られたマヨは、[[2009年]]7月31日をもって出場停止処分は解除されたものの、{{CURRENTYEAR}}年{{CURRENTMONTHNAME}}現在でも所属チームがい状態が続いている。
 
== 人物 ==
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{{デフォルトソート:まよいはん}}
[[Category:スペインの自転車選手]]
[[Category:バスクの自転車選手]]
[[Category:ビスカヤの人物]]
[[Category:バスク人]]
[[Category:1977年生]]
[[Category:存命人物]]