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ピピンは[[列聖]]されてはいないが、いくつかの古い殉教録では[[聖人]]として挙げられている。
 
ピピンには妻[[イッタ]]との間に一男二女がいた。息子の[[グリモアルト1世]](生年未詳 - [[681年]])は、後に[[アウストラシア宮宰]](在職:[[650年]] - [[661年]])となった。二人の娘のうち、[[ベッガ]](生年未詳 - [[649年]])は[[アンゼギゼル]]([[メス (フランス)|メス]]大司教[[アルヌルフ (メス大司教)|アルヌルフ]]の息子)と結婚して[[ピピン2世]]([[ピピン2世]](中ピピン)、[[カール大帝|カール1世]]の曾祖父)をもうけた。また[[ゲルトルート]]([[625年]] - [[659年]][[3月17日]])は[[イッタ]]が設立した[[ニヴェル女子修道院]]の修道院長となり、後に列聖された。彼女は旅人の守護者とされ、しばしば[[ネズミ]]とともに描かれている。
 
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