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== 職掌 ==
[[701年]]に[[大宝律令]]が制定され、朝廷の音楽を司る役所として作られた。様々な公的行事で[[雅楽]]を演奏すること、また演奏者を養成することが職務である。演奏者として歌師・舞師・笛師・楽師が設置された。このうち前三者は倭楽(在来音楽)を、後者は雅楽(海外音楽)を担当した。楽師は令制では[[唐]]・[[新羅]]・高麗([[高句麗]])・[[百済]]及び呉楽である伎楽・腰鼓に分かれてそれぞれの音楽を担当した。また笛師の下には笛職人である笛工が付属した。[[平安時代]]以降は楽所や大歌所などに押されて衰退した。
 
[[明治維新]]後、雅楽寮は[[三方楽所]]と統合されるなどの紆余曲折を経て[[宮内省]]式部職'''楽部'''(がくぶ)に改組され([[1908年]]([[明治]]41年))、現在の[[宮内庁]]にそのまま引き継がれる。今日の「[[君が代]]」の作曲者・[[林廣守]]や雅楽演奏家の[[東儀秀樹]]はここの出身である。