「ジャーヒリーヤ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Addbot (会話 | 投稿記録)
m ボット: 言語間リンク 25 件をウィキデータ上の d:q726805 に転記
編集の要約なし
26行目:
 
== 「現代のジャーヒリーヤ」・ジャーヒリーヤ論 ==
[[ムスリム同胞団]]のイスラム原理主義活動家[[サイイド・クトゥブ]]は、[[1964年]]に出版された著書「道標」([[:en:Ma'alim fi al-Tariq|en]])の中で「ジャーヒリーヤ論」を展開している。この中で、彼は当時の世界を「真のイスラーム社会」と「ジャーヒリーヤ社会」に区分し、前者を「信仰、法律、儀礼が[[イスラーム法]]への完全な隷属関係にある社会」、後者を「共産主義社会([[ソ連]]、[[中国]]など)、異教社会([[日本]]、[[インド]]など)、ユダヤ教・キリスト教社会(欧米、[[イスラエル]]など)、およびイスラームを自称する(実は専制支配の)社会」と述べた。<br>「自称イスラーム社会」については、当時の[[エジプト]]政府を念頭に置いたものと見られるが、同書は「イスラーム社会以外の社会は、すべてジャーヒリーヤ社会である」と指摘している。この考え方に従えば、[[民主主義国]]はもちろん[[ムスリム]]が国民の多くをしめる国や[[イスラーム共和国]]であっても、イスラーム法を完全に施行していない社会はすべてジャーヒリーヤ社会であり、つまり全世界はジャーヒリーヤに覆われていることになる。この理論は[[アブル・アラー・マウドゥーディ]]([[:w:Abul Ala Maududi|en]])の影響を受けたものであった。 このジャーヒリーヤ論は当然のごとくエジプト当局から警戒され、また[[シャリーア]]の権威たる[[アル=アズハル大学]]からも非難を受けた。
 
[[ジハード団]]の{{仮リンク|ムハンマド・ファラジュ|en|Muhammad abd-al-Salam Faraj}}はジャーヒリーヤ論をさらに押し進め、パンフレット" {{lang|ar|[[:ar:الفريضة الغائبة (كتاب)|الفريضة الغائبة]]}} "({{lang-en|neglected obligation}})で"Islamic-fascism"<ref>Eikmeier, Dale C., [http://www.carlisle.army.mil/usawc/Parameters/Articles/07spring/eikmeier.htm ''Qutbism: An Ideology of Islamic-Fascism'']</ref>と呼ばれる理論を展開し、その後多くの[[イスラム過激派]]([[原理主義]])に受けつがれ、これら原理主義過激派を理論面で支える柱の一つになった。