「北欧史」の版間の差分

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またスヴェーア人は現在の[[リヴォニア]]、[[ロシア]]、[[ウクライナ]]と他の東方地域に移住した。ノルウェーとデンマークの移住者が始めに西方と北ヨーロッパに移住した。これらの東方からのスカンディナヴィア人移民はヴァラング人([[ヴァリャーグ]])(''væringjar'', 「ののしる人たち」)として知られ、[[サガ]]によれば8世紀中頃に建設された[[ラドガ湖]]南方の[[スタラヤ・ラドガ]]([[古ノルド語]]:「アルデイギュボルグ」(Aldeigjuborg))がノルマン人によって支配されていた。最古の[[スラヴ人]]の[[原初年代記|記録]]によれば、これらヴァラング人が[[キエフ大公国|キエフ・ルーシ]]を建国し、[[10世紀]]末まで移民は奨励された。この東方ヨーロッパの大国は[[モンゴル帝国]]のヨーロッパ侵略に最初に遭遇し征服された。東方に進出したノルマン人は自らは記録には残さなかったが、上記のスラヴ人の記録の他、西欧、ギリシャ、[[イスラーム]]によってその活動が伝えられている。その一つがヴァラング人を形成する[[ルーシ族|ルーシ]]と呼ばれる人々で、8世紀後半から9世紀にかけての[[ルーシ・カガン国|ルーシ・カガンの国家群]]を形成し、そのルーシの中から[[リューリク]]が[[ノヴゴロド公国]]を建国し、その一族である[[オレグ (キエフ大公)|オレグ]]などがキエフ・ルーシ創設に関わったという。東方へ進出したノルマン人の足跡は、[[ルーン文字]]によって刻銘された[[ルーン石碑|石碑]]によって伝えられた。
 
[[File:Pictures of English History Plate X - Canute and His Courtiers.jpg|thumb|left|200px|スキョル王朝の版図を大きく拡大させた[[クヌー1世 (マークグランド王)|クヌーズ12世]]。]]
また、デンマークではデーン人たちの建国した[[デーン王国]](スキョル王朝)が伸張し、[[シェラン島]]に存在していた幾多もの国々を征服していた<ref name="tunoda_042">[[#角田1955|角田1955]]、p.42。</ref>。彼らはその勢力を[[ユトランド半島]]方面へも伸ばして行き、5世紀後半には現在のデンマークと[[スコーネ]]の一部を統一するに至り、650年にはスヴェーアのインリング王朝を滅ぼすなど、北欧において最も勢威の強い王国となった<ref name="tunoda_042"/>。
 
[[ファイル:Vikingship.jpg|thumb|220px|復元されたヴァイキング船]]
一方、[[フランク王国]]の成立によって陸を使用した南下が困難となっていったことから北欧の人口は激増し、北欧で土地の獲得が叶わなかった多くの人々は新しい地を求めて海上へと進出を始めた。これによって造船術や航海術が著しく発達し、[[ヴァイキング|ヴァイキング時代]]が始まった。彼らは単独・混成に関わらずノルウェー、デンマーク、スウェーデンの各地にするさまざまな民族によって編成されていたため、西欧の人々は彼らを一様に「北方の人々」を意味する[[ノルマン人]]と呼称し、区別をつけなかった<ref name="tunoda_046">[[#角田1955|角田1955]]、p.46。</ref>。北欧海岸地帯沿岸を拠点とする彼らは冒険・略奪・通商を求めて海を渡っていたが、やがてその目的は領土獲得・植民へと変化していった。[[803年]]、[[シーグル王]]の戦死によってイングランドへと侵攻先が変わると[[870年]]にはイングランド東部地域([[デーンロウ]])の獲得に成功し、[[スヴェン1世 (デンマーク王)|スヴェン1世]]の時代にはイングランドの王を兼ねるまでに至った<ref name="tunoda_048">[[#角田1955|角田1955]]、p.48。</ref>。[[クヌー1世 (マークグランド王)|クヌーズ12世]]の時代に入るとさらに勢力を伸ばし、北海を中心とした広大な北海帝国の樹立に成功した。これによってデンマークにはイングランドの文化や[[キリスト教]]が流入し、深く浸透していった<ref name="tunoda_050">[[#角田1955|角田1955]]、p.50。</ref>。しかし、次代[[ハーデクヌーズ]]の死とともにイングランドは独立を果たし、広大な北海帝国は瓦解、スキョル王朝も滅びることとなった<ref name="tunoda_050"/>。
[[File:LeifErikson1968stamp.jpg|thumb|100px|ヨーロッパ人として初めて北アメリカ大陸に渡ったとされる[[レイフ・エリクソン]]。]]
スウェーデン、デンマークに対してノルウェー([[ノール人]])は後進的で、9世紀に入っても統一国家が存在しておらず、小王国に分かれた状態で争っていた<ref name="tunoda_046"/>。このような状況が続く中で、西南海岸に位置する豪族たちは船団を組織し、海外領土の侵攻を始めるようになった<ref name="tunoda_046"/>。特に知られているものとしては[[793年]]の[[リンディスファーン島]]襲撃などがあるが、こうした侵攻は年を経るごとに頻繁に起こるようになった<ref name="tunoda_046"/>。彼らは[[シェトランド諸島]]を拠点に[[スコットランド]]や[[アイルランド]]へ侵攻を繰り返し、大量の植民を行ったほか、[[北海]]を横断して[[フランス]]北部に拠点を築いて内陸へと侵攻していった<ref name="tunoda_046"/>。また、[[865年]]には[[アイスランド]]へ到達してこの島に対しても植民を開始している<ref name="tunoda_046"/>。しかし、インリング王朝の再建によって次第にノール人の国々は併合されていき、インリング王朝は9世紀中ごろまでにその勢力を西海岸まで伸ばすことに成功している<ref name="tunoda_046"/>。残された小王国は連合艦隊を組み抵抗を試みたが、[[ハーラル1世 (ノルウェー王)|ハーラル1世・美髪王]]によって撃退され、[[885年]]([[872年]]としているものもある)、ノルウェー王国が誕生した<ref name="tunoda_047">[[#角田1955|角田1955]]、p.47。</ref>。しかし、ハーラル1世・美髪王の後は王位を巡った内紛が勃発しデンマークの[[ハーラル1世 (デンマーク王)|ハーラル1世・青歯王]]によって領土の大半を奪われるなど、その勢力は縮小していった<ref name="tunoda_049">[[#角田1955|角田1955]]、p.49。</ref>。[[オーラヴ1世 (ノルウェー王)|オーラヴ1世]]の時代には一度盛り返しを見せたが、[[スヴェン1世 (デンマーク王)|スヴェン1世]]の時代に完全にその領土はデンマークの支配下に置かれることとなった<ref name="tunoda_049"/>。一方でノール人による海外侵出はこうした国情にも関わらず盛んに行われ、[[900年]]ごろには[[グリーンランド]]が発見され、[[1000年]]ごろには、グリーンランドに最初に入植したとされる[[赤毛のエイリーク]]の息子[[レイフ・エリクソン]]によって[[北アメリカ大陸]]([[ヴィンランド]])が発見されている<ref name="tunoda_049"/>。