「北欧史」の版間の差分

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===キリスト教化 ===
{{main|:en:Christianization of Scandinavia}}
ヴァイキングの信仰は多神教で、信仰する神々は[[トール|雷神トール]]、[[:en:Nerthus|地母神ネルトゥス]]、[[フレイ|平和神フレイ]]など[[北欧神話]]と深く結びついていた<ref name="tunoda_034">[[#角田1955|角田1955]]、p.34。</ref>。戦いに重きをおき、戦死者の魂は神話の館[[ヴァルハラ]]に迎えられる栄誉に浴するものと信じられていた。スカンディナビアのキリスト教化はヨーロッパ主要部よりも遅れた。「北方の使徒」と呼ばれ、後に[[ブレーメン]]の大司教となる[[:en:Ansgar|アンスガル]]は、[[826829年]]にデンマークへやってきたがここでの伝道は失敗しており、スウェーデンの地[[ビルカ]]にてようやく歓迎を受けた<ref name="tunoda_050"/>。アンスガルはその後も[[850年代]]に再訪し、デンマーク、スウェーデンにて教えを説いたが、西欧諸国に在住している間に洗礼を受けた北欧人たちが多数帰還するにつれて徐々に浸透していった<ref name="tunoda_050"/>。デンマークではハーラル1世・青歯王が[[980年]]頃にキリスト教を国教とした。しかしスウェーデンでは[[異教徒]]の抵抗に遭い、撤退した<ref>[[#百瀬1998|百瀬1998]]、p.52。</ref>
 
ノルウェーにおけるキリスト教化は[[:en:Haakon I of Norway|ホーコン1世]]の治世に始まった<ref name="tunoda_051">[[#角田1955|角田1955]]、p.51。</ref>。オーラヴ1世や[[:en:Olaf II of Norway|オーラヴ2世]]に代表されるように、ノルウェーでは支配者が国外へ遠征した際に帰依し、即位した後に率先して布教に努めるといった傾向が強かった<ref name="tunoda_051"/>。オーラヴ2世はイングランドの宣教師を自国に招きキリスト教の普及に尽力した。ノルウェーの[[北欧神話|異教]]からキリスト教への移行はほとんどイングランドの宣教師によって成されたものだった。王の洗礼とそれに続く国によるキリスト教化の政策により、伝統的な[[シャーマニズム]]は時代に取り残され、迫害の対象になった。スカンディナヴィア古来の伝統に則った祭り事([[:en:seid|seid]])を執り行う祭司([[:en:Völva|Völva]])たちは、11世紀から12世紀に興隆した新たなキリスト教を信奉する為政者たちによって処刑されるか追放される憂き目にあった。